「神が必要を満たしてくださる。生活の心配をやめなさい。」ルカによる福音書12章22-31節

イエスは弟子たちに「迫害者を恐れずに語れ」と命じた

からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがた に言います。この方を恐れなさい。ルカ12:4

  1. イエスは弟子たちに、迫害者を恐れず大胆に語れと命令された。ルカ12:4,5
    たとえ殺されても、あなた方は天国で永遠に慰められるのだから何の損はない。
  2. そして彼らが、迫害者を恐れる必要がない理由を教えた。ルカ12:2,3
    1. 真理は必ず明らかになる。人々が認めるようになる。
    2. 真理の側に立つ者が最後には勝利する。迫害者たちは破滅する運命にある。

群衆に対しては「貪欲」にならないようにせよと注意した
地上の宝に頼る者は愚か、その最後は永遠の滅びだから

どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。ルカ12:15

  1. 遺産相続で争う兄弟。長子は遺産を1人占めにして兄弟に渡さなかった。ルカ12:13-15
    長子は、「貪欲」の罪に陥っていた。
  2. 愚かな金持ち」のたとえを話された。
    これは貪欲な人間の最後はどうなるかについての話
    である。ルカ12:16-21

    1. 金持ちは、富を自分が得たものと考えた。神が彼に富を与えたことを知らなかった。
      収穫は人間の努力を超えた要因によって大きく左右される。
      本来は、神に豊作を感謝するべきであったが、彼はしなかった。
    2. 金持ちは、神が目的をもって、彼に財産の管理を任せていることを知らなかった。
      彼は、神の御心に従ってそれを用いることをしなかった。
      (神のための奉仕とか、他者に分け与えるとか)
    3. 金持ちの関心は、この世で楽しむことだけだった。彼は「神」や「死」について無関心だった。
      彼は、「自分の死」のことなど無関心だった。死を迎えるための準備を全くしていなかった。
      このままでは、死後、神にさばかれることなど、考えもしなかった。
    4. 金持ちは、神によって生かされていることを知らなかった。
      彼は、神に感謝もせず、神を礼拝することもなかった。
    5. 金持ちは、貯えた財宝を楽しむことをゆるされなかった。神が彼の命を終わらせた。
      神が彼を怒られたからである。

神について無関心で、神からの供給を知らない者は「貪欲」になる。この世の宝を際限なく欲しがる。宝が多ければ自分は安全だとか、幸せになると考えるからだ。そして律法に違反してでも、人をだますことさえしてこの世の宝を得ようとする。
しかし人は必ず死ぬ時が来る。そのとき魂は神に帰る。神を知らず「貪欲」になる生き方は、天で厳しくさばかれることになる。最後には「永遠の滅び」に入れられる。
「だから、神を信じなさい。神に頼って、貪欲の罪を犯さないようにしなさい」とイエスは群衆に言われた。

弟子たちに「神が必要を与えてくださる。生活の心配はするな」と、キリスト者の生き方を教えた。これは未信者や不信仰者には適応できない。

だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配し たりするのはやめなさい。 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。ルカ12:22,23

  1. 命のことで何を食べるか心配する=寿命の心配 ルカ12:22
    健康のために食べていいもの悪いものを過度に気にする。
    長生きできるか、いつまで生きられるか心配する。
  2. からだのことで着る物を心配する=お金の心配 ルカ12:22
    着る物を買う金があるか、将来もお金で困らないか心配する。

神はあなたがたの必要をご存じで与えてくれる。だから心配するなと教えられた。ルカ12:22-28

 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。

  1. からす 彼らはあなたがたのように働いていない。しかし食べ物が与えられて生きている。
  2. ゆり 自分で何もしていない。しかし神がきれいに装ってくれている。
    1. あなたがたは「からす」や「ゆり」よりもすぐれた者。まして神を礼拝し、神のために働いている。神はあなたがたに目をとめ、あなたがたに必要なものを与える。

第一に求めるべきことは、「神の国」と「神の義」である。
信仰を第一にするなら、生活のことは神がめんどうを見てくれる。

何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。ルカ12:29-31

「神の国とその義を求める」とは何か。

「神の国」を求めるとはどういうことでしょうか。
礼拝し、奉仕し、伝道し、兄弟姉妹に親切にすることだと考えますが、それはちがいます。
しかし、これらは「神の国」を求めた結果生じたことで、「神の国」を求めることを意味しません。
なぜなら、「神の国」を求めていても、ある一定の条件が加わらなければ上記のような行いはできないからです。たとえば、皆が礼拝できる訳ではありません。病気や高齢で教会に行けない人がいるからです。皆が賛美や給食の奉仕ができる訳ではありません。皆が、教職や伝道師の地位を与えられる訳ではありません。
ではいったい、「神の国」を求めるとはどういうことでしょうか。
それは、自分の心が「神」をこの世の何よりも価値の高い宝としているか。
その宝を得るために、自分の命をも犠牲にする覚悟があるか。
神が統治なさる「神の国」の到来を心から待ち望んでいるいるか。
このような信仰の告白が「神の国」を求めるということではないでしょうか。

また、「神の義」を求めるとはどういうことでしょうか。
自分の努力で得る義ではなく、神から罪を赦されて与えらえる義を求めて生きるということ。
神が定める正しさについて心から同意すること。
神の定めた正しい生き方を自分の人生に実現できるように努めること。
もっと多くの人々が、神の義に預かることを願うこと。
これらのことを願うことが、神の義を求めることではないでしょうか。

そして、私たちが第一に「神の国とその義」を求めるなら、
神は、私たちが求めたものを与えてくださり、それらに加えて生活の必要も満たしてくださると約束してくださっています。

私たちは第一に「生活のこと」を心配する。「神の国」ことは後回しにする。
しかし、「神の国」を第一に求めるとき、私たちは生活の心配から解放される。

私たちは、まず生活していけるかを心配します。そして、そのための方法や努力に心が向き、神のことを忘れてしまいます。しかし、これでは順番が逆なのです。
イエスは「神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらの物はそれに加えて与えられる」。と言われました。

私たちの心が、神を慕い、神の国の到来を待ち望み、自分の義ではなく神から与えらえる義を求め、その義を感謝して生きること、これが私たちが第一にすべきことだと今日の聖句は教えています。
そのとき、私たちの日々の必要は神が配慮してくださると約束されています。

私たちの心は、目に見えるこの世のことに向きやすいものです。それらの出来事によって、うろたえやすいものです。しかし、この世の全ての出来事や被造物(人間)を支配しておられる「神」に心を向けることを忘れてはいけません。そして、「神」をこの世の何よりもまさって頼りにする信仰、また「神」にこの世の何よりも高く価値を置く信仰を持つことが大切であると、今日の聖句は教えています。

神はクリスチャンに特別に配慮しておられる。なぜなら、彼らは神の民だから。
将来について心配は、神にゆだねる。これがクリスチャンの生き方。

からすやゆりは、神を意識していなけれども、食べ物が与えられ、美しく装ってもらっています。
ましてキリスト者は、神に感謝し、神に忠実であろうとする人たちです。
神は、イエスを信じる者たちを「神の民」とか「宝の民」と呼ばれます。
ですから、神ご自身が血を流し罪を赦したキリスト者たちのことを、無関心でおられるはずがありません。それどころか、神の御心でなければ髪の毛1本も落ちないほど詳細に、神はキリスト者たちの生活を配慮しておられるのです。このことを知るとき、私たちの心は安心で満たされます。
将来の生活について、必要以上の心配をしないのがキリスト者です。
将来は、主が備えてださると信じて心配を終わらせるのがキリスト者の生き方です。

神の考えと私たちの願いは一致しないことが多い。
主が与えるもの、主が与える時が自分にとって最善だと受け入れるように。

神の国とその義を求めたら、必ず良いものが与えられると神に期待する人がいるかもしれません。
しかし、このみことばは、祝福のための法則(ノウハウ)ではありません。
自分の信仰が正しくても貧しくなる人や病気になる人はいます。

神の考えと私たちが考えは一致するとは限りません。私の経験からすると一致しないことの方が多いです。神には、私たちの理解を超えたお考えがあるのです。このことをいつも覚えておくことは大切です。
神は永遠の立場から全てのことを導いておられます。この世の人生は、永遠の命からすると短いものです。ですから私たちにはその目的がわからなくて混乱することもあるのです。
ですから、願い通りのものが与えられなくても、それが自分にとっての最善だと認めて受け入れていくこと、このような心の準備をしておくことが重要です。

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