奇跡の本当の目的は、霊の目が開かれてイエスを信じるようになること。「10人のらい病人のいやし」ルカ17章11-17節

イエスが十字架にかかる時は近づいていた。
エルサレムに向かわれる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた

 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。ルカ17:11

  1. エルサレムで贖い(あがな)のわざを完成するため、エルサレムに向かわれていた。
  2. 旅の途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
    ここは、サマリヤ人とユダヤ人が隣あって住んでいる地区。

そのとき、10人のツァラアトに冒された人が
イエスにあわれみを求めて叫んだ

ある村にはいると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。ルカ17:12,13

  1. 「ツァラアト」とは、今のハンセン氏病、この当時不治の病であった。
    この病気にかかると皮膚が腐っていく。
    接触すると人にうつるため、彼らは町から離れて住んだ。
    彼らは人とすれ違うとき「汚れている」と叫ばなければならなかった。
  2. 彼らはイエスから遠く離れた所にいて、大声でイエスに叫んでいた。
    彼らは、病気のためイエスに近づくことができなかった。
    そこで、離れた所からイエスに聞こえるように大声で叫んだのだった。
  3. 彼らはイエスに「あわれみ」を求めた。「病気のいやし」を願った。
    彼らは、イエスが不治の病を一瞬にして治すことを聞いていた。
    イエスが自分たちが住んでいる近くを通ることを知って、ひそかに村に入ってきていたのだった。

イエスは10人の願いを聞いて、病気のいやしを宣言した
そして全員がいやされた

イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。ルカ17:14

  1. 自分の体を祭司に見せなさい」とは、病気が治ったことの宣言であった。
    律法では、祭司が病人の体をチェックして、病気が治っていたら元の生活に戻ることを許した。
  2. 10人は病気のままだったが、イエスのことばを信じて祭司のところに向かった。
  3. 祭司のところに向かう途中、全員に体のいやしが起こった。

1人のサマリヤ人が神を賛美してイエスに感謝した

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。ルカ17:15,16

  1. 10人の病人の中にサマリヤ人が1人いた。
    彼は癒しを体験するとすぐにイエスのところに引き返した。
  2. 大声でイスラエルの神をほめたたえた。イエスの足元にひれ伏して感謝した。
    サマリヤ人は、イエスを神だと知ってひれ伏した。
  3. サマリヤ人は、イエスの父である神こそ、本当の神だとわかった。
    彼はサマリヤの神々を捨てた。イスラエルの神をほめたたえた。
  4. サマリヤ人は、イエスが、父なる神が遣わした「メシヤ」だとわかった。
    自分たちが待ち望んでいた「救い主」だとわかった。

9人のユダヤ人は、戻ってこなかった

そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」ルカ17:17,18

  1. 9人は、祭司のところに行く途中、完全ないやしを体験した。
  2. しかし、彼らはイエスを神と認めるようにはならなかった。
  3. 彼らの神観は変わらなかった。彼らは、アブラハムの子孫であることを誇り、律法を守ることで救われる、以前の暮らしに戻って行った。イエスをメシヤと認めることはなかった。
  4. イエスは、奇跡を体験しても、イエスを神と認めることをしない、ユダヤ人たちのかたくなさを責めた。

イエスはサマリヤ人の信仰を認めた。サマリヤ人は救われた。
彼は肉体だけでなく、霊的にもいやされた。

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。ルカ17:19

  1. イエスはサマリヤ人の信仰を「神に良しとされる信仰=救われる信仰」と認めた。
    彼に神の民となる特権、天国に入る約束を与えた。
  2. このサマリヤ人は「神の国」を相続できない者だったが、信仰により神の民とされた。
    彼はサマリヤの神々を拝み、神の怒りの下にあったが、イエスに信仰が認められて、神との関係が回復し、彼は父なる神に愛される「神の民」になった。彼は「神の国」を相続する者にされた。
  3. サマリヤ人は、イエスによって、肉体的いやしと霊的いやしの両方が与えられた。
    この全的ないやしが起こることこそ、イエスが奇跡をなさる目的であった。

考察1 問題解決のために教会に来る人がいる。でも問題が解決したら以前の生き方に戻る人が多い。

9人のユダヤ人たちは、病気がいやされた後、イエスに信仰を持つこともなく、ユダヤ人の慣習に従って以前と変わらない神観で暮らしました。
多くの人たちが、イエスに祈ることで問題を解決できるのではないかと思って、教会に来ます。
しかし、私たちの人生の多くの問題は、時間の経過とともに解決されることが多いものです。
そこで、問題が解決すると信仰も卒業する人たちがたくさんいます。
彼らにとって、信仰とは問題解決のための手段であって、問題がなくなれば信仰も必要がなくなるのです。
問題解決のためにイエスとつながっている人は、救われる信仰を持っていません。
イエスは、私たちの身の周りに起きる問題を解決するために死なれたのではないからです。
ですから、救われるためには、もっと本質的なことでイエスを必要としなければなりません。
人生の問題を通して、そのことに気づく人たちは幸いです。

考察2 サマリヤ人は、イエスによって、肉体的いやしと霊的いやしの両方が与えられた。この全的ないやしが起こることこそ、イエスが奇跡をなさる目的である。

サマリヤ人は、不治の病の癒しを体験した瞬間、イエスが神だとわかりました。このような奇跡は、神にしかできないからです。それと同時に、イエスがご自分の父であると言っておられる神こそ、この天地を創造された神だとわかりました。その神は、イスラエルをアブラハムの時代からずっと導いておられた神です。つまり、自分が信じてきたサマリヤの神ではなく、サマリヤを見下すイスラエルの神です。

彼はこのことがわかったとき、自分のサマリヤ人としての誇りやイスラエル人への敵対心などをすべて捨てて、イエスのもとに走り寄り、イエスの足元にひれ伏して拝みました。

このように、私たちもイエスによって奇跡を体験し、イエスがまことの神であることがわかったなら、今まで慣れ親しんできた信仰や、自分の哲学、生き方を捨てて、イエスのもとにひれ伏そうではありませんか。そして新しい心で、子どものように1歩1歩の歩みをイエスに教えられながら、イエスに頼って生きようではありませんか。

イエスが奇跡を起こされる目的は、病気を治したり問題を解決するためではありません。
それは、奇跡を通して、霊的ないやしが起き、イエスを神と認めて信じるためです。
私たちの「罪」という病をいやし、神との関係を回復させて、天国に入れるためです。
肉体的、霊的に、私たちがいやされることが、イエスの目的です。
今問題を抱える方々に、イエスによる「本当のいやし」が起こりますようにと祈ります。

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