「モーセの生涯2」シナイの荒野を旅する、主と契約を結ぶ

1 シナイ半島の荒野を旅する 出エジ15章22節~17章

マラで水の奇跡が起きる 15:23~

  1. マラに来た。水が苦くて飲めなかった。民はモーセにつぶやいた。15:23
    主は1本の木を示された。モーセがそれを投げ入れると、水は飲めるようになった。
  2. その所で主は彼におきてと定めを授け、そのところで彼を試みられた。15:25 

エリムでマナが降りはじめた

  1. シンの荒野に入る。(第2の月の15日)主はマナを降らせて民を養った。16:1~
    食料がなくなり、民がつぶやいた。16:2
  2. 主は、天から毎朝マナを降らせた。マナは6日降った。16:4
    その日の分だけを集めさせた。6日目には2日分を集めた.1人1オメル、2.3L
    民は7日目に休んだ。
    マナはコエンドロの種のようで、白く、味は密をいれたせんべいのようだった。16:31
    主は、Ⅰオメルのマナをつぼに入れ、子孫のために保存せよとアロンに命じた。
  3. 民はカナンの地境に来るまで、40年間マナを食べた。
  4. 夕方には、うずらが飛んできて宿営をおおった。16:13

1-1考察「マナの奇跡」

マナは1人Ⅰオメルずつ集める。多く集めても、少なく集めても計ってみると、Ⅰオメルだった。
各自が食べる分だけ集めた。朝まで残しておくと虫がわいて食べられなかった。これは、すべて主の奇跡、主のご計画による。
主は、すべての民が、主の定めた量を食べるようにした。その日に必要な量だけを与えた。
これは、イスラエルに不正がないため、また、日々主により頼んで生きるためであった。

レフィディム(メリバ)で岩から水が出る奇跡が起きた 17章1節から

  1. 主の命令により、シンの荒野を出て、レフィディムで宿営した。17:1
    そこには、水がなかった。民はモーセにつぶやき、彼を石で殺そうとした。17:2~
    「長老たちと、ホレブの岩の前に立て、あなたが岩を打つと水が出る」と主は言われた。
    長老たちの前で、モーセが言われた通りすると水がでた。
  2. モーセは、そのところをマサ「試み」またはメリバ「争い」と呼んだ。
    イスラエル人が争ったから。主はおられるのか、いないのかと主を試みたから。

1-2考察「主はエジプトをでた民とモーセを試みた」

主は民を水のないところで、民を宿営させた。そこで、民とモーセを試みられた。

残念ながら、彼らは「主が彼らを養ってくださる」という信仰がなった。試みられるたびに彼らは、エジプトを出たことを後悔した。また、「われわれを連れてきたのは、荒野で死なせるためか」とモーセを責め、石で撃ち殺そうとした。そして、「エジプトにはたくさんの食べ物がある。」とエジプトに帰ろうとするのだった。

民に食料を与えるため、主はモーセに奇跡を起こさせた。その方法は、人間の常識からすればおろかだと思えるものであった。主は、モーセが主を信頼して、主に言いつけられた通り行うかどうかを見ておられた。このようにして、主は民とモーセの心を調べられた。
その結局、エジプトを出た民は、ヨシュアとカレブを除いて、カナンに入ることができなくされた。皆、荒野で死んだ。それは彼らの不信仰のためであった。

また、モーセも、メリバにおいて、主の命令に従わなかったために、カナンに入ることができなくなった。主は、彼にピスガの頂からカナンの肥沃な大地を見せてくれた。これが、彼が見た最後の光景だった。

神が約束された地に入るためには、イスラエル人に主への信仰が必要であった。カナンにはアナク人やアマレク人が住んでいる。彼らはイスラエル人よりも強い。主がイスラエルのために戦われることなくして、これらの強敵に勝ち、領土を広げることはできない。戦いが不利になるたびに主に文句をいっているようでは、彼らは敵と戦う前に、神罰を受けて死ぬであろう。

また、主によって敵に勝利するためには、人間にはおろかだと思える主の方法を、イスラエルは忠実に実行しなければならない。主は、モーセの失敗をゆるさなかった。主は「岩に語れば水が出る」とモーセ言仰せられた。それなのに彼は杖で、しかも2回も岩をたたいた。

主の御心は、主が決められた方法で、イスラエルが救われ勝利することであった。
そうでなければ、主が栄光を取ることができないからである。
モーセの後継者ヨシュアは、このことをしっかりと心にとめたであろうと思われる。

信者の人生も同様である。主は信者とともにおられる。困難の中にあるとき、主にうらみごとを言いたくなる。しかし、自暴自棄になる前にいったん静まって主に思いを向けてほしい。主はあなたを救うことができる。あなたは、現状を嘆く代わりに、主に祈り、導きを求めるべきである。そして、主の救いを忍耐して待つことである。もし主が、なんらかの方法をあなたに示されるならば、たとえ未信者からバカにされようとも、ためらわずに実行して、主の導きを確かめようではないか?

レフィィディムで、アマレクとの戦った 17:8~

  1. レフィィディムで宿営していると、アマレクが戦いに出てきた。
  2. モーセはヨシュアに命じて、アマレクと戦った。モーセとアロンは丘の頂きに登った。
    モーセが手を挙げているときは、イスラエルが優勢に、手を降ろしているときはアマレクが優勢になった。17:11

    モーセが疲れてきたので、石に座らせ、アロンとフルがモーセの手をささえた。17:12
    日が沈むまでモーセは手を挙げ続けた。ヨシュアは勝った。
  3. 主は、アマレクの記憶を完全に消し去ると仰せられた。17:14

1-3考察「アマレク人の罪」

アマレク人は、エジプトを出たばかりで、弱っているイスラエル人を襲った。主はこのことにを怒り、
「アマレクの記憶を完全に消し去る」と言われた。17:11

アマレク人の罪が満ちたとき、彼らを聖絶せよと、主はサムエルに命じられた。
しかし、サムエルは彼らを全滅させることはしなかった。アマレクの王を生け捕りにし、分捕り物を持ち帰った。この罪を主は非常に怒られた。そのため主はサムエルを王位から退けた。

2 しゅうとイテロの助言 出エジ18章

  1. モーセのしゅうとイテロは、モーセの子ゲルショムとエリエゼル「主の助け」、
    モーセの妻と一緒に荒野に来た。18:3
  2. イテロは主のみわざを喜び。主に、いけにえをささげた。18:12
  3. モーセがすべての民をさばいている様子を見て、イテロは助言した。18:18~
    さばきつかさを任命し、彼らに神のおきてを教えなさい。

    小さい事件は彼らにさばかせ、大きい事件だけ、あなたがさばきなさい。
    そうすれば、あなたの重荷は軽くなります。
  4. しゅうとは帰っていった。2人の子供と妻は残った。18:27

3 シナイ山で、神はイスラエルと契約された 出エジ19章~31章

イスラエルは、シナイ山のすぐ前に宿営した。19:2

  1. 神は3日間、民を清めさせた。(民を聖別し、服を洗わせた)
    3日後に、主がシナイ山に降りてこられた。19:18
    全山が煙っていた。煙は立ち上った。山は激しく震えた。

    民は、山のふもとに立った。
  2. 主はモーセを山の頂に呼び寄せた。モーセは登っていった。19:20
  3. 主は、十戒及び、主の定めをモーセに語った。20~23章

神は十戒を民に提示した。民は同意した。 申命記5章

  1. あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
  2. あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
  3. あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
  4. 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
  5. あなたの父と母を敬え。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
  10. あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

モーセは山を降り、主が語られたことを民に告げた。民はみな行いますと同意した。24:3
それで、モーセは主のことばを書きしるした。(契約の書)24:4
イスラエルは、和解のいけにえを主にささげた24:5
主は、モーセを再び山に登らせ、主が書きしるした「石の板」を与えた。24:12
モーセは40日40夜、山にいた。24:18

再び山に登ったモーセに、主の祭儀のための道具の作り方を指示する。25~31章
契約の箱、主の幕屋、祭司のエポデ、祭司の服装、祭司の取り分、
いけにえのささげ方、祭司について、祭儀の道具の作り方など。

民はモーセが山にいる間に、金の子牛を造って拝んだ 出エジ32章

  1. モーセは、山から降りて来なかった。そこで民は、アロンに「私たちに先立っていく神」を造ってくださいと言った。32:1
    アロンは、民から金を集めて金の子牛を造った。
    民は、金の子牛にいけにえを捧げ、飲み食いして戯れた。32:6
  2. 主は、そのことを知ってモーセにすぐ山を下りるように命令した。
    主は「イスラエルを滅ぼす。しかしあなたは大いなる国民にしよう。」と言われた。32:10
    主はイスラエルを滅ぼして、モーセから新たに民族を起こすと言われた。
    モーセは神に取りなし、神はわざわいを思い直された。32:14
  3. 民を見るなり、モーセは神からもらった2枚の板を投げ捨て、山のふもとで砕いてしまった。32:19
  4. モーセは怒り、子牛を火で焼き粉々にし、水の上にまき散らした。32:2
  5. モーセとレビ族は、同胞を殺した。その日3千人が死んだ。32:28
  6. モーセは再び山に登った。 

3-1考察「金の子牛をつくった罪」

民は、モーセが山から下りるのに手間取っているのを見た。そこで、アロンに「自分たちの神を造って欲しい」と頼んだ。アロンは、彼らのためにすぐに金の子牛を造り、祭りを催した。
このことに対して、主も、モーセも怒りを燃やした。モーセは偶像礼拝をした者たちを殺させた。

主はイスラエル人を「うなじのこわい者たち」と呼んだ。33:3その通りである。モーセの帰りが遅くなっただけで、民は愚像礼拝を始める。このことから、人間の本性は偶像を好むと言える。なぜなら偶像の神は、自分たちの欲望(性欲、物欲)を否定せず、かえって楽しませてくれるからである。偶像礼拝が、多くの場合セックスを、神に祈りを届けるための儀式として用いていることが、このことを証明している。

現代の私たちも同様です。私たちは生まれつき偶像礼拝に傾く性質を持つ。私たちは、自分の願いを叶えてくれ、しかも自分に服従を要求しない、都合の良い神を好む。
しかし、イスラエルの神、主は罪に対して厳格である。同性愛、フリーセックスは罪であり、それを行う者に罰を与える。主は信仰者に対して、自分の欲望をかなえるのではなく、主の御心をかなえることを要求する。

だから、主への信仰は、生まれつきの人間に備わる傾向と反しているため、そこにとどまるためには、相当の努力を必要とする。しかし、人間の努力には限界がある。

そこで、キリストは信者に聖霊をくださった。聖霊が私たちの「かたくなな心」を変えてくださる。イザヤの言う「新しい心」を与えてくださり、神に従うことができるようにしてくださる。だから、神に従うためには、聖霊を受けることが第一に重要である。

モーセは十戒の板を持って山を降りた

  1. モーセは40日40夜、主とともにいた。
  2. モーセは神が語られた「契約のことば」=「十のことば」を石板に書きしるした。34:28
  3. モーセが山から降りてくると、彼の顔は光を放っていた。民は恐れて近づけなかった。34:29それで、顔におおいをかけた。主と話すときだけ顔のおおいを除いた。34:35

3-2考察「旧約」主と民が交わした契約について

神とイスラエルは、双方の合意を確認した後、契約を交わした。これは、神の一方的な命令ではない。神が民に提案し、民がそれに同意して成された契約である。」

その証拠に、双方の合意が成り、契約が成立した後、初めて主は、礼拝の場所である天幕の造方や、祭司についての規定をモーセに指示しておられる。契約が成立していなければ、このような指示はでなかったのである。

主は初めにアブラハムに約束された。「あなたの国民は星の数ほど増える」「あなたを見捨てずあなたを捨てない」
その神が、ご自身の奇跡によって、民をエジプトから出発させた。民は主の全能の力を見た。

主は、エジプト人と異邦人を区別された。エジプトの初子は皆死んだが、イスラエル人の初子は死ななかった。民のために海を分けて彼らを渡らせたが、エジプトの軍隊が入ってきたとき、水が戻って、彼らは全滅した。

その上で、さらに主は、ご自身を自分たちの神とするかどうか、民の意志を確認しておられる。
モーセに山で十戒を授け、モーセが山を降りて民に話し、民は同意した。
そこで、もう一度モーセを山に呼んで、十戒、幕屋、祭司についての規定を詳しく教え、モーセはそれを書き残して山を下りた。そして、民に告げて、民は実行した。

私たちは、「主の契約、十戒ほか」が主から押しつけられたものと理解してはいないだろうか。
民は、この契約を結びたい、主に守っていただきたいと心から願って、契約を結んだのである。
だから、旧約は民に負担をかける契約ではなく、民を解放し、民を守る契約である。
このことを覚えておくことは重要。

いけにえについて、食事について、きよめについて、主は多くの決まり事を作られた。しかし、これらは、民が正しく主に祈りをささげるため、また宿営の衛生を確保するためにの決まり事である。主が民の益を図って定められた規定であることを忘れないでおこう。

 旧約の時代であっても、主は民に負担をかけ、苦しめて喜ぶ冷酷な方ではない。
民の同意なしに、一方的に契約を押しつける方ではない。

旧約時代の神も、キリストと同じ神である。キリストと同じ憐れみをイスラエルの民に対して十分に示しておられる。
ただ、契約である以上、どちらかが違反すれば、他方は契約を守る必要はなくなる。
民が、偶像を慕うなら、主との契約は無効になる。民が悔い改めて、主に立ち返るなら、主は再び民との契約を守られる。
旧約の時代は、まだ、キリストによる信者のための罪の赦しの血が流されていなかったため、このことが即実行されたのであった。

4 主はモーセに、幕屋、祭具の造り方を教えた。民は道具を造った。出エジ35~40章

  1. モーセは山で神から指示されたことを民に教えた。
    会見の幕屋、祭司の服、その他の道具を、主に言われた通り造った。
  2. 幕屋ができあがったとき、雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちた。40:34
    モーセは幕屋に入ることができなかった。主の栄光が満ちていたから。40:35
    主の雲はいつも幕屋にとどまった。
  3. 主は幕屋の上に雲の柱をとどまらせ、民を導いた。
    雲の柱が幕屋にとどまっている間は、イスラエルは旅立たなかった。
    雲が上ったときだけ旅立った。40:36
  4. イスラエルが旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。40:38

4-1考察「主の雲が幕屋にとどまった。雲は民を導いた。」

正式な主の幕屋ができるまでの間、モーセは祈る時、宿営の外にテントを張った。
彼がテントに入ると主の雲がテントに降りた。主と語り終えると、雲は消えた。
そのテントは「モーセの幕屋」と呼ばれた。
しかし、主の指示により完成した幕屋ができてからは、主の雲は幕屋の上にとどまった。
雲は民を導いた。民が出発するときが来ると、雲は動いた。民は雲に導かれて進んだ。
雲は彼らとともにあり、夜は雲の中に火があって民を照らした。

雲は目に見える神の臨在を現わす。イスラエルは完全に神に頼って旅を続けた。
私たちの人生の旅においても、主は見えないが、常に臨在され、私たちを導いておられる。
主は、夜には雲の中に火をともし、夜の安全を守られた。本当に行き届いた配慮である。
そのような方が、イスラエルに先だって行かれたように、私たちに先立って行かれる。
私たちの歩む道を前もって整えてくださった上で、私たちを導いてくださる。

この恵みを与えられた者は、本当に幸いである。

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