• 2022-05-18
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇18章「報いは行いによらず、恵みにより与えられる」

18章1:ローマ8:30 「行いに従って報いが与えられる」とは 聖書の中に「行いに応じて報いを受ける」と言われている個所が多くある。これらは、報いが人間の功績に由来すると言っているのではない。神が人に報いを与える順序を示した聖句である。 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになり […]

  • 2022-05-17
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇17章「律法の約束と福音の約束は合致する」

律法の約束について間違った見解がある 律法を守ることにより義とされると考える人たちがいる 行ないを前提として祝福が与えられる聖書の記述から、彼らは報いを受けることは、信仰のみでなく、行ないにもよると言う。 律法を完全に守ることで天国に入るなら、誰一人入れない。 神は律法を完全に守る者しか義と認めない […]

  • 2022-05-16
  • 2022-05-16

士師記19-21章「ベンジャミンの堕落」

エフライムに住むレビ人が、ベツレヘムのギブアにやって来た 彼は、めとったそばめを取り戻しに来た。 彼女はその人を嫌って家に帰っていた。4か月実家にいた。19:1-3 「ザーナー」姦淫 何らかの男女関係のもつれでそばめが家を飛び出した。 そばめの父は喜んで彼を迎えた。何日も彼を引き留めた。19:4-9 […]

  • 2022-05-16
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇16章「この教理を擁護する」

16:1信仰によって義とされる教理は、善い行ないを廃することにはならない 「信仰」と「良い行い」は結びついていなければならない。 カトリックは行いがなければ信仰もないと教えるが、私たちは信仰が良い行いを生じさせると考える。 カトリックは、義とされる信仰には行ないが必要だと教える。しかし私たちは、義と […]

  • 2022-05-15
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇15章「行いの義を否定する」

15章2:私たちの能力は神から与えらえたものである 自分の持つ善いものは神から来ている。 それは自分の功績で得たのではなく、神の憐れみによって与えられた。(クリュストモス) 15章3:私たちの行ないは、汚れているけれども、私たちは神から報いを受ける 善い行ないをしたとしても、私たちは無益なしもべにす […]

  • 2022-05-14
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇14章「義認の始まりとその継続する発展(聖化)について」

14章:2 信仰のない者にも神の恵みとして美徳が宿る場合がある 私は「不信仰の者が持つ美徳が、神の賜物ではない」とか、「正と悪に違いはない」というほど非常識ではない。私は正義と悪は大変違うことを認める。なぜなら信仰のない者が行う義と悪の間にさえ、大きな違いが現れているからである。 信仰のない者の善行 […]

  • 2022-05-13
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇13章「価なしの義認において心得るべきこと」

神の栄光を守らなければならない 自分の持っている知恵、富、力を自分の者として誇る権利はない。 それは神が与えたものである。もし自分のものとして誇るなら、それは神の栄光をそこなうことである。 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。 […]

  • 2022-05-12
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇12章「価なしの義認」

12章2:神が正しいとする義について考える 人間の視点からではなく、神の視点からの義について論じる。 「人は神の前に義であることはできない」という結論に達する。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。詩編130:3 12章2:人には義と見えても、神にはそうでは […]

  • 2022-05-11
  • 2022-05-15

士師記17-18章「ミカの鋳造とダン族」

ミカは母から金を盗んだ、母はその金で鋳造を造らせた ミカはエフライムに住んでいた。17:1 ミカは母の金、銀千百枚を盗んだ。しかし、主からのわざわいを恐れて母に返した。 母が、盗人をのろって言ったことが、自分に起きると恐れたから。17:2 母は、主が金を自分のところに戻してくださったことを感謝した。 […]

  • 2022-05-11
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇11章「信仰義認とは何か?その定義」

11章2:行いによる義認と信仰義認のちがい 「行いによって義とされる者」は、完全に聖い行いによって神を満足させなければならない。 「信仰によって義とされる者」は、キリストの義を着ることによって、罪人でありながら神に義人と見なされる人である。 11章3:信仰による義認は、どのようになされるか? キリス […]

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?