- 2022-05-07
- 2022-06-14
キリスト教綱要3篇7章「キリスト者の生活」
われわれは、われわれのものでなく主のものである 自分自身を主に捧げ、主の意志に従うこと、これこそ「霊的な礼拝」である。 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え 物としてささげなさい。それこそ、 […]
われわれは、われわれのものでなく主のものである 自分自身を主に捧げ、主の意志に従うこと、これこそ「霊的な礼拝」である。 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え 物としてささげなさい。それこそ、 […]
サムソンは、ソレクの谷にいた女、デリラを愛した ペリシテ人の領主たちがデリラのもとにやってきた。 彼らは「サムソンの力の源を教えてくれたら、銀千枚をあげよう」とデリラをくどいた。士師記16:5 デリラはサムソンに聞いたが、サムソンは本当のことを教えなかった。 7本の新しいつるで縛るなら、私は弱くなる […]
イエスは不治の病をいやした。イエスの評判は全ユダヤに広まった。 人々は病気を治してもらいに集まってきた。 しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。ルカ5:15-16 このと […]
悔い改めの定義 己の罪を知って審判の恐れにおののき、神の前にひれ伏し、 われわれの生が真実に神に向き変わること。 悔い改めの2つの部分「罪の告白」と「新生」 これは聖霊の働きによってなされる。 「罪の告白」=「自己否定」 「自己の本性を罪だと悟り、自己を価値なしと認めること(自己否定)」これは聖霊に […]
キリスト教綱要 第3篇2章「信仰について」 信仰の定義 1.キリストについての真実な認識は、御父によって差し出された福音をそのまま受け入れることである。 2.信仰とは、我々に対する神の意志を御言葉から知り信じることである。 信仰はどのようにして始まるか? 信仰は神によって与えられる。神が御霊を与え、 […]
聖霊の働きの様々な側面 「子とする御霊」 私たちを神の子であると証言してくださる。 「祈りの御霊」 祈るる信頼を与え、祈ることばも与えてくださる。 父なる神を「アバ父」と親しく呼ぶことを可能にしてくれる。 「救いの保証」 私たちの救いを保証してくださる。 「命の御霊」 信者を生かす命の泉 「神の御手 […]
アビメレクの死後、トラ、ヤイルがイスラエルをさばいた イッサカル人ドドの子トラ 23年間イスラエルをさばいた。エフライムの山地シャミルに住んだ。10:2 ギルアデ人ヤイル 22年間イスラエルをさばいた。30人の息子。30頭のろば。19:3-4 アモン人がギルアデ地方を苦しめ、ヨルダン川を渡って来た […]
民は再び罪を犯した。主は預言者を遣わした デボラの死後、イスラエルは再び罪を犯した。 主は、彼らをミデアン人によって苦しめた。(7年間)士師6:1 ミデアン人は、アブラハムとケトラとの間にできた第4子の子孫たち モーセはミデアンの祭司イテロのところに寄留した。彼らはイスラエルと友好的であった。 イス […]
2聖霊は、人間が神に敵対していて、神の呪いのもとにあると告げる。このことは、キリストなしでは、どんなに悲惨かを理解するのに役立つ 聖句は、人間が神に敵対していて、神の呪いのもとにあることを啓示する。 このことは、私たちがキリストなしでは、危険な状態にあることを理解するのに役立つ。 もし敵であった私た […]
イエスは1人1人に声をかけ、弟子とした イエスはご自分で1人1人に声をかけ、弟子を集めた。声をかけられた者は皆、その場で持ち物、仕事、家族を捨ててイエスに従った。イエスはご自身がメシヤであることを彼らにわからせるため、彼らの前で奇跡を行った。 1、ヨハネによる福音書からわかること イエスがヨハネから […]