「神の知恵の深さに感動する!自分に信頼を置かず神に信頼することを学ぶ。/イスラエルの反抗を用いて異邦人を救い、さらにイスラエルの救いを完成させる神の知恵」ローマ人への手紙11章

<ローマ人への手紙11章 解釈>

Ⅰ  神はイスラエル民族の中にも、ご自分に忠実な者を残しておられる

Ⅰー1イスラエル民族は救いから除外されたのではない。
エリヤの時代にも、神は忠実な信者
を残しておられた。1-4
11:1 すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。
11:2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知 らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。
11:3 「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」
11:4 ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」
 

神は、イスラエルを見捨てて、救いの計画から外してしまったのではありません。
エリヤは1人でバアルの預言者と戦い、イザベルから命を狙われました。そして、主の預言者としてエリヤ1人だけが残され、命を絶たれようとしていました。しかし、神は、バアルを拝まず、創造主のみ忠実な預言者たちを7000人も残しておられることをエリヤに知らせました。これは、エリヤにとって驚きであり、大きな励ましでした。   

Ⅰー2神はイスラエル人からも、救いに選んでおられる。5―6
11:5 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。
11:6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

 エリヤの時代と同様に、今の時代も、キリストに反抗するイスラエル人の中に、神の恵みによって選ばれ、キリストを信じるようになるユダヤ人たちが残されています。

ほどんどの人が不信仰な時代の中にあって、それでも本当の信仰を持つことができるのは、自分の知識や努力によるのではなく、ただ神から恵みを与えられて、信仰者となるように選ばれたことによります。

Ⅰー3どの時代にも、神はご自分のために真の信者を起こしておられる。

パウロも、その残された者の1人でした。また、当時も少数ですがユダヤ人キリスト者は存在しました。彼らは、ただ神の恵みによって救いに選ばれ信者とされた人たちで、神がご自分のために残しておかれた者たちです。
神は、どの時代にも、ご自分のために真の信仰者を存在させておられます。  

Ⅰー4イスラエルの残された者は(キリストを信じて救われる者たち)、行いではなく、ただ神の恵みによって救われた。

真の信者になることは、行いによりません。彼ら残されたものたちは、行いによって恵みをうけたのではありません。ただ神の選びとあわれみによって信者とされた人たちです。 

Ⅱ キリストの到来によって、イスラエルの信仰は2つに分かれた

 11:7 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。

1つは、行いの義を求めてキリストに反抗する者たち。
2つ目は、神に選ばれて救われた者たち。

Ⅱー1神はイスラエル民族のある者を選び信じさせ、ある者は心をかたくなにして不信仰にさせた。
イスラエル民族は、神の義を得ようと努力しましたが、得ることができませんでした。彼らは信仰によって求めることをしないで、律法を守ることによって求めたからです。キリストが到来して、信仰による義の道が示された後、イスラエル民族の信仰は2つ分かれてしまいました。

神に救いに選ばれた者たちは、聖霊によって心が変えられ、キリストを信じて義を得ました。
他の人々は心がかたくなにされて、キリストに反抗し、いぜんとして行いによって義を得ようとしています。
Ⅱー2たとえ神によって不信仰にされたとしても、罪の責任は不信仰者にある。
なぜなら、自ら進んで不信仰の罪を犯したのだから。

たとえ神が彼らの心を固くなにして不信仰にしたとしても、彼らがさばかれる責任は、神にではなく、彼らにあります。なぜなら、彼らは強制されてではなく、自分から進んでキリストに敵対しているからです。

Ⅲ イスラエルの反抗は神の計画による
その目的は、異邦人に救いが及ぶため

Ⅲー1イスラエルがキリストにつまずくことを聖書は預言している。8-10
11:8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
11:9 ダビデもこう言います。「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。
11:10
その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」
(イザヤ書6章10節、詩編69章22,23節からの引用)

上記の預言のことばを要約すると次のようになるでしょう。
「神がイスラエルを霊的に無感覚にした。彼らにメシヤを悟ることができない鈍い心を与えられた。イエスを見ても、イエスのことばを聞いても悟らないように彼らの心をかたくなにされた。今日もそうであって、彼らはイエスをメシヤとは認めず、神に反抗し続けている。」

パウロは、イエスラエルが霊的に盲目になったことは、今もそうであると言っています。彼らは神に選ばれた民族であることを今も誇っています。律法を守ることで救いを得られると信じています。そのため、キリストによって与えられる義を得ようとしません。

Ⅲー2イスラエルのつまずきは、異邦人のため、イスラエルのため。11-12
11:11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。
11:12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

 イスラエルは、救いから除外されるためにつまずいたのではありません。
このことが起きた理由は、異邦人の救いためであり、またイスラエル人の救いためでもありました。

イスラエルが反抗した結果、救いが異邦人に及ぶようになりました。
異邦人が救われて安息に入ったことを見たイスラエルが、自分たちの信仰に疑問を持ち、イエスを信じる信仰による義を求めるためでした。

イスラエルのつまずきによって、異邦人は霊的な益を受けました。そうであるなら、イスラエルの回心は、非常に大きな霊的効果をもたらすはずです。

Ⅲー3異邦人の救いに貢献することによって、イスラエルが救われることを期待するパウロ。13-15
11:13 そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。
11:14 そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
11:15 もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

 パウロは異邦人の使徒であり、おもに異邦人に伝道をしていました。しかし、彼の心にはイスラエルに対する熱い思いがありました。
「異邦人を救いに貢献することは、結果としてイスラエル人の救いにも貢献することになる」とパウロは言います。イスラエルが異邦人の救い、異邦人の安息を見て、奮起して神に立ち返ることをパウロは願いました。13-14

イスラエルが捨てられることによって、異邦人が救われて神と和解しました。
そうであれば、イスラエルの救いは、彼らが死人の中から生きかえること、つまり霊的盲目状態におちいって霊的に死んでいたイスラエルが、神の前に生きたものとなるという、大転換が起きることです。15

Ⅳ 異邦人はイスラエルがつまずいているからといって
自分たちを誇ってはならない

Ⅳー1異邦人の救いを、接ぎ木のたとえから説明する。16-18
根(族長たち)枝(イスラエルの諸部族)台木(キリスト)接ぎ木(異邦人)
11:16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。
11:17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

 民数記に初物が神に捧げられることによって、粉全体がきよいものとされる規定があります。根とは族長たち、枝とはイスラエル民族を意味しています。(民数記15:20,21の比喩)

族長たちが聖別されたものなら、イスラエル民族も神に聖別されたものです。イスラエルは神に選ばれ、愛されている民族です。
彼らの背信に関わらず、神の愛は変わりません。16

不信仰なユダヤ人(枝のなかのあるもの)が救いから外され(折られ)、神の契約とは無縁であったあなたがた異邦人が(野生種の枝)救われて、族長たち(根)に与えられた神の契約を共に受けるものとされました。17

そうであるなら、異邦人は、不信仰なイスラエルに対して、自分たちの方が優れているなどと誇ることはできません。あなたの信仰は、神がイスラエルに与えた約束のもとに成り立っており、あなたの能力や貢献にいっさい関わらず、ただ神の憐れみがあなたに与えられたことで信仰が与えられ、維持されているからです。18

Ⅳー2異邦人は、イスラエル人よりすぐれているのではない。
神は異邦人をイスラエル人より愛しているのではない。
11:19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。
11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

イスラエル民族がつまずいたのは、異邦人である私たちが救われるためだと、あなたは言うでしょう。その通りです。彼らイスラエル民族は不信仰によって捨てられ、あなたがた異邦人は信仰によって神の救いにあずかりました。19-20

神が、イスラエル民族を惜しまずに救いから外されたのであれば、本来救いから除外されていた異邦人たちが不信仰になるなら、あなた方はもっと簡単に神に捨てられることになるでしょう。21

Ⅳー3異邦人は、神の愛ときびしさを知り、信仰にとどまるように。
イスラエル人を見下してはならない。彼らは「キリストが神だ」とさえわかれば、異邦人よりずっと容易に信仰を持つことができる人たちだから。
11:22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。
11:23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。
11:24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、 もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

神はいつくしみときびしさの両面を備えておられる方であることをおぼえておかなければならなりません。不信仰の者に対しては、神はきびしく扱われます。その例を、救われた異邦人たちは、イスラエルの人たちに見ています。信じる者に対して、神はいつくしみ深くあられます。救われた異邦人たちには、神のいつくしみが与えられました。

しかし、異邦人も、神のおきてに歩まず、不信仰を続けるなら切り落とされるのです。不信仰なイスラエルの民であっても、不信仰を止めれば、神の契約にあずかる者とされるのです。神は彼らを再びつぎ合わせ、ご自分の民として迎え入れることがおできになるのです。22-23

あなたがた、異邦人が、自分たちの父祖たちから教えられ、慣れ親しんだ信仰(偶像礼拝)に反して、イスラエルの族長たちと信仰をともにする者とされたのであれば、イスラエルの民として生まれた人たちはもっとたやすく神の民に加えられるはずです。24

Ⅴ イスラエルに対する神の救いの計画

Ⅴー1イスラエル民族が「かたくな」であるのは、異邦人の救いの完成のときまでと定められている。25-27
11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

 イスラエルの一部がかたくな(不信仰)になったのは異邦人の救いの計画が完成する時までです。イスラエルは神の計画によって、今キリストに敵対するようにかたくされているだけです。だから救われた異邦人たちは、彼らのつまずきを馬鹿にして、自分たちを誇ってはいけません。

Ⅴー2神はイスラエルの救いの完成を計画しておられた。
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

 異邦人の計画が完成した後、イスラエル民族の残された者、すなわち神の選びによって救いに定められたユダヤ人たちは全て救われます。これが神の計画です。パウロはイザヤの預言をあげて証明しています。
「イスラエル」とは、=救いに選ばれたイスラエル人。(少数)
「イスラエルはみな救われる」=神に選ばれたイスラエル人が皆救われること。
神に選ばれてたユダヤ人と異邦人の救いの完成。霊的イスラエル

神は、イスラエル人たちが救われる時を用意しておられました。イスラエル人の中からもキリストを信じて救われる人たちを起こすことを、神は、天地創造のはじめから計画しておられるのです。

Ⅴー3イスラエル人は神に選ばれた民族。神は、彼らと交わした契約を果たされる。
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。

 彼らは福音を否定してあなたがたに敵対していますが、神の選びによるならば、彼らの信仰の父祖たち(アブラハム、ヤコブなどの聖徒たち)のゆえに神に愛されている民族です。神の賜物と召しは変わることはありません。神はイスラエルに与えると誓った契約を必ず守られます。28-29

Ⅴー4異邦人たちは神に不従順だったが、神の憐みを受けた。
同様に、イスラエルも今は不従順だが、将来神の憐みを受けて救われる。
11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
11:31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

 あなたがた異邦人は、以前は創造主を否定して偶像礼拝をしていましたが、イスラエルが不信仰になったおかげで、福音があなたがたに伝えられ、創造主を信じる恩恵を受けました。

それと同様に、イスラエル人も今は神に敵対していますが、異邦人たちが受けた神のあわれみ(信仰による義)と同じあわれみを、イスラエル人も受けて救われるためなのです。30-32

Ⅵ ああ、神の知恵はなんと深いことか!

Ⅵー1神の知恵は、人間の知恵をはるかに超えて奥深い。33
11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

神の知恵と知識の富は何と底知れず深いものでしょうか。神のさばきは人間には知りつくしがたいもの、神の救いの奥義は、人間には知ることができないものです。

Ⅵー2神は人間の助言を必要とされず、ご自身ですべてを決められる。34
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

 誰も神の深いご計画のすべて知り尽くすことができません。誰も神のご計画の助言者となることはできません。(英訳より)つまり、神の計画に関われる者は誰もいないのです。神はご自身だけで、すべてを決められます。
“For who has known the mind of the Lord, or who has been his counselor?”(NSV)

Ⅵー3信仰は、神によって始められ、成長させられ、完成される。完成された信者は神のもとに集められる。全てを成し遂げられる神に栄光があるように。35-37
11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

 救いのすべては、神から発しています。
人間から発して、その見返りとして人間が神から救いを受けるのではありません。 

「信仰」は神の計画により与えられました。つまり、私たちの信仰は、私たちが始めたのではなく、神が始めたのです。そして、さらに神は私たちに始められた信仰を保持させ成長させ、最後には完成させて、ご自身のもとに集められるのです。全てを始められ、全てを導き、全てを完成される神に栄光がありますように。

<ローマ人への手紙11章 考察>

考察1 神の救いの計画は、人間には思いつかないほど深い。

11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

考察1-1神の計画の深さは、神が確かにおられる証拠である。

イスラエルの反抗を神様はあらかじめ計画され、それを異邦人の救いのために用いられ、さらにイスラエルの回復をも神の思いの中にはあったのです。

このような深い奥義を、果たして人間が思いつくことができるでしょうか?

このことからも、神が確かにおられると私たちは確信を持つことができるのではないでしょうか。

考察1-2神のことばは1つも地に落ちない。神の約束は必ず実現する。

また、神のイスラエル民族に約束されたこと、つまり彼らに約束の地を与えることは必ず実現します。それは、この世で実現するのではなく、次の世で実現することでしょう。しかし、私たちクリスチャンは必ずその実現をこの目で見ることになるのです。イエス様も言われました。「律法の1点1画でもすたれることはない」と、聖書のことばは1つも地に落ちることなく成就します。

考察1-3神の知恵は自分には理解できないほど深いことを覚えておくこと。
神の知恵によって、すべての事が起きている。このことを忘れないこと。

私たちも、自分たちの期待したように人々が救われず、落胆して神の計画を見失うことがあります。
しかし、もし私たちの失望を神があらかじめご存じであって、その失望が用いられて、さらに深い神の計画が、私たちの上に実現することになるのであればどうでしょうか。

私たちは、この世の人たちと同じように、見える状況からだけで判断を下して、神の愛を疑い、人生の希望を失ってはいけません。私たちの理解をはるかに超えた神の計画があるからです。時にはこの世を超えた永遠の世界において私たちに益を与えるために、神が事を進めておられることもあるからです。
私たちは、神の知恵の深さをいつも心に留めておく必要があります。そして、たとえ理解できない出来事が起きたとしても、神への信頼を失わないことが大切です。

考察2信者は、神の根源性、絶対性を知っていなければならない。

11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。

考察2-1世界を創造し、成り立たせているのは神である。(神の根源性)

この世界は、神によって始められ、神によって成り立っています。神を通さずに起こること何もありません。神はすべての出来事をご存じであり、善も悪も神を通して私たちに送られてきます。

神は全ての出来事を起こされる根源的な存在で、全てを命令して起こされる絶対的な権威を持っておられるお方です。

考察2-2神の性質を正しく知らなければならない。(神の絶対主権)
そうでなければ、困難の時、信仰につまずいてしまう。

信仰は、この世での安全や成功を約束するものではありません。
クリスチャンになってからも、私たちは悲しい出来事を経験します。

もし信者が、神の根源性と絶対性を知らなければ、困難な時に、信仰につまずいて神からは離れてしまうでしょう。彼らは、困難な状況で神を愛することはできないし、自分に困難を与える神なら信じないからです。

しかし、神が全ての出来事を起こしておられ、神にはどのようにでもする権利があり、自分には理解できない神の深い考えがあることを理解している信者は、人生のさまざまな困難にも良く絶えて、神を愛し信仰を保ち続けることができます。そして、最後には神の幸いな御心を知ることができます。

考察2-3すべて神に栄光を帰することが、クリスチャンの生き方。

11:36どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
クリスチャンは、自分に理解できることも理解できないことも全部、神を通して自分のもとに送られているとわかっている人です。神は、ご自分が決めたことを行われる絶対的な権威を持つことを認めている人です。私たちが自分の人生を決めるのではなく、神が私の人生を造られる。このことに同意し、このことを喜ぶ人です。そして、全てのことが神の栄光としてほめられることを望む人です。どこまでいっても神中心、これがクリスチャンの生き方です。

考察3自分の人生の主権を神に明け渡すことで、本当に自由にされる。

考察3-1自分の考えではなく、神の考えに従うこと。
なぜなら神の考えは自分の考えよりも深いから。

人間は生まれつき、神を中心として生きることを嫌います。
なぜなら、自分が自分の主人でありたいからです。
自分を絶対的に支配して命令する存在がじゃまなのです。

自分が良いと思う生き方をすることが幸せでだと考えます。
神はいないし、死後のさばきもない、だから生きている間に大いに楽しむことが幸せだと考えます。

しかしおろかな人間は、自分が良いと考えてしたことが、他人を傷つけ、不幸にすることがあります。自分を幸せにするために、欲望を最大限にかなえていくなら、結局は、争いや不幸を自ら刈り取ることになってしまいます。

考察3-2神に従う生き方は、奴隷のようではない。
この生き方にこそ、本当の幸せ、自由がある。

神に従う生き方は、神の理不尽な要求にも絶対的に従わなければならない奴隷のような生き方ではありせん。
なぜなら、私たちの主人は、自分の利益のために奴隷をこき使うこの世の主人とは違うからです。私たちの主人は私たちのためにご自分の命をお捨てになった方です。

私たちは主人である神を信頼しています。神は完全な方、善なる方、愛なる方です。私たちはこのような方の奴隷であることを誇りに思っています。そして神の判断はいつも正しく、神の命令は私たちに喜びをもたらし、私たちを危険から守ることを知っています。

キリストの奴隷であることは、なんと素晴らしいことでしょうか。
この生き方にのみ、私たちは真の平安を見出し、本当の自由を得ることができるのです。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?