古い人の意志や努力でははなく、新しい人に与えらえた御霊に従って罪に勝利する。キリスト者の聖化。」ローマ人への手紙8章1-17節

<ローマ書8章1-17節 概要>

6章において、キリストと結び合わされ一体となり、律法によって罪が定められない者となったこと。律法から解放され、義の奴隷となったクリスチャンの奥義を語った。7章においては、救われてもなお自分の中に神に従いたい心と従えない心の葛藤を抱え続けるパウロ自身の告白、すべてのクリスチャンの戦いの現実を示しました。

ここでは、6章、7章の結論として、罪の葛藤の中にありながらも、御霊によって歩むクリスチャンの勝利の人生について語ります。

<ローマ書8章1-17節 解釈>

聖霊による勝利

こういうわけで、 1節

8章は、6章、7章を受けつつ、7章25節と強く関連しています。
6章において、キリストと一体とされ罪から解放された原理を説明し、
7章では、自分が現実に経験している罪との格闘を告白しました。
そして7章25節で、罪との戦いにおいて、罪に引かれてしまうみじめな自分に対して、神が解決の道を与えてくださったことを感謝したパウロ。

8章では、罪との闘いにおいて、キリスト者は原理においてだけではなく、現実においても勝利することができます。それを可能にしてくれるのが聖霊です。私たちは聖霊の働きを正しく知って頼る必要があります。ここでは、聖霊による勝利について語ります。

御霊は、「罪と死の原理」から信者を解放した。

1. 新生した人は、罪に定められない。1節

8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

キリストがささげてくださったいけによって、信者に対する神のさばきは終わりました。だからこそ、決定的な赦しの立場を宣言できるのです。

2.「いのちの御霊の原理」が、「罪と死の原理」の支配から私を解放した。2節
8:2
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

〇キリストにあるいのちの御霊の原理(法則)とは何か。
キリスト者の中にある御霊の力強い働きによって、罪と死の支配に勝つこと。

具体的には、罪を犯させる「古い人」に勝利して神に従うこと、自分を死に定めていた律法から解放されて罪に定められなくなること。

〇罪と死の原理(法則)とは何か。
生まれながらの自己が罪に支配されているため、神の前に霊的に死んでいる結果、最終的には肉体の死と霊的滅び(地獄)に至る法則。

5章では、御霊の力は罪の力に勝って、信者を支配することが知らされています。
5:17 もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けろている人々は、ひとりの人 イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。ローマ書5章17節
ですから、クリスチャンに与えられた聖霊は力強く働きます。
その力は罪の力に勝って信者を支配し、自力では不可能であった「罪と死の法則」のしばりから信者を解放します。

3.罪の支配下にあり、自力では義となることができなかった。
ところが御子の死によって、私の罪の処罰は終わった。3節

8:3
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

生まれながらの自己は罪の支配の下にあって、神に反抗します。
ですから、律法によっては罪に定められるしかない無力な者でした。
しかしそのような私たちのために、神はご自身の御子キリストを、この世にお遣わしになりました。御子は私たちと同じ肉体を持たれ、信じる者の罪をゆるすために、十字架にかかり死なれました。
これは、私たちの罪に対する神の怒りが、神である御子に降ることによって、御子を信じる者の罪を処罰するためでした。 

古い人の努力ではなく、御霊に従うことによって義を行う

1.古い人の努力ではなく、御霊に従うことによって、神から要求される義を全うする。4                  
8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
肉に従って歩むとは、
罪に支配されている人間の力によって生きること。

御霊にしたがって歩むとは、キリストに結ばれて御霊によって生きること。

御霊にしたがって歩む私たちの中に律法の要求が全うされるとは、
神との関係における義認だけでなく、日常生活で実行されるべき義が、罪の支配下にある人間の努力によって実行できるのではなく、御霊にしたがって生きるキリスト者たちによって行われるということ。

神から義をいただくことも、日常生活での倫理的な善行も、人間の力によっては実現できない。なぜなら自己が罪に支配されているから。しかし、自己に頼らず、御霊に従うことによって、罪を殺し続け、制御し続けることによって正しく生きることができると言われています。

御霊を持つ新生した人と、御霊を持たない、生まれながらの人の違い

1. 生まれながらの人は、自分の楽しみ、自分の栄光を欲しがる。
御霊に従う新生した人は、神のみこころ、キリストの栄光を望む。5節

8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

御霊によって新生していない古い人は、自分の楽しみ、自分の栄光を求めて、それらのことで頭がいっぱいです。
御霊によって新生した人は、神の御心、神の栄光が実現することをひたすら考えます。そのために自分がどう生きればいいのかを考えます。

2.肉の思いは死、御霊の思いはいのちと平安。 6節
8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

〇肉の思いとは何か。
神と断絶し、自己を神の座において生きる思いです。
これは、肉体の死に限らず、霊的な死をもたらし、最後には地獄に至らせる思いです。その心は、不安でいっぱいです。
〇御霊による思いとは何か。
御霊によって支配された思いのことで、これは命と平安をもたらします。永遠の命の希望にあふれ、御霊によって心が制御され平安です。(英語訳にthe mind controlled by the Spirit is life and peace.とあります)
 ですから、生まれつきの人間の思いと神の思いは対立関係にあります。

3.肉の思いは神に反抗して従わない。神を喜ばせることはできない。7節
8:7
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

肉の思いとは、古い人、生まれながらの自分の意志です。これは、罪の支配下にあって、神に反抗します。その結果、神を喜ばせることができません。
 御霊をいただいていない生まれつきの人は、神に敵対して、神に従うことが不可能です。
そのために、神を喜ばすことができません。

キリスト者には御霊の力強い助けがある
キリスト者は、御霊によって罪の力に勝利する

 1.信者はキリストと一体とされた。御霊が信者の内に住み、信者は神の中に生きる。
信者は罪の支配の中ではなく、神の支配の中に生かされている。                 

8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、 キリストのものではありません。

キリスト者は御霊を受けて新生した人です。そうでないならクリスチャンではありません。罪のゆるし、永遠の命などの神の約束とは何の関係もありません。神は御霊としてキリスト者の内に住み、信者は神の中に生かされる。このキリスト者と神との結合は、一体と表現されるほど強いものです。

だからこそ、キリスト者は御霊の助けを必ず受けることができる確信を持つことができるのです。

2.キリスト者の内には聖霊が生きている。古い自己の残存はあるが、新しい人が与えられている。
そして新しい人は、日々成長し続ける。10節            

8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

「からだ」ギリシャ語で「ソーマ」とは、罪に支配されている古い存在としての自己です。この自己は罪の奴隷であり、義を行えない無力な状態にあります。

生まれつきの私たちは、罪の奴隷の状態にあり、良いことができない者で、神のさばきを逃れることができません。キリスト者となった後も、この古い人の存在がクリスチャンを悩まします。

しかし、信者には、神の霊によって誕生した新しい本質(新しい人)が与えられています。この新しい人は信者の内に生き、成長し続けます。そして新しい人によって、古い人を無力にしていくのです。

3.御霊は力強く働く。最後には信者を天国に入れるほど強い。
御霊は、古い人に働きかけて、少しずつ罪の支配を死に絶えさせてくださり、最後には信者を完全に聖めて天国に入れてくださる。11節
8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなた がたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

キリストを死から復活させた御霊の力は、霊的・倫理的に無力となっている私たちの肉(古い自己)を少しずつ死に絶えさせて、最後には天国に入れる状態にしてくださるのです。御霊の力はこれほどまでに力強く、絶え間なく信者のために働くのです。

古い自分の力で罪と戦ってはならない。そうするなら敗北する
神はそのようにせよとは言っていない
新生した人は、御霊にしたがって罪に勝利する

1.罪や欲望を抑える責任がある。しかしそれらを肉(古い自己)によって責任を果たすのではない。

私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。 12節
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。13節

1-1生まれつきの能力で罪と戦う責任はない。
御霊なしで罪と戦う者は、最後には神にさばかれてしまう。

私たちは、肉の欲望に従って生きる責任を、肉に対して、つまり、人間的な努力や生まれつきの性質に対して負っていません。もっと具体的に言うと、人間的努力によって罪と戦う必要はないのです。自分の力や決心では決して完全に罪を消すことができないため、最終的には神にさばかれてしまうからです。

1-2与えらえた御霊に従って罪を殺し続ける責任がある。
これは、キリストと一体とされた信者にとって難しすぎる要求ではない。

そうではなくて、罪の思いに従う責任は、信者が与えられた御霊に従って生きるかどうかにあるとローマ8章12節は語っています。

私たちの生まれつきの力に、罪の責任を取らせない神に心から感謝します。御霊と一体となっている新生した信者にとって、御霊に従って生きることが本来の生き方になっています。ですから、御霊に従うことは、真の信者にとって困難なことではありません。また、御霊は力強く働き続け、信者の肉の性質を少しずつ無力にしてくれています。このことは、自分の力ではできることではなく、御霊によってのみなされることです。

御霊の内住とそのすぐれた働きを知り、それに頼ることができるこの奥義は、自らの罪と格闘するキリスト者にとって、大いなる励ましです。

2.信者は、御霊によって罪に勝利できる。神は、それを可能にしてくれている。

しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。13節

人間的欲求や努力によって罪の責任を果たそう、罪を赦してもらおうとするなら、(肉に従って生きるなら)努力は報われず、結局は罪に定められて永遠の死に至るのです。しかし、御霊によって罪に支配された結果生じる悪い行いや習慣を(からだの行い)を殺し続ける責任があります。そしてそれは御霊の圧倒的な働きによって可能なのです。

3.御霊に導かれることが新生した人の生き方
御霊に従えない、従いたくないと言い続ける人は、自分の信仰を吟味し直す必要がある。

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子供です。14節

私に内住されている聖霊に導かれているかどうかが、この世での生き方を決定します。

新生したキリスト者であれば、御霊の支配の中にある者、御霊に従うことが自然となっているはずです。それでも、肉の思いに負けるというなら、自分は本当に御霊をいただいているのかどうか、自分の信仰告白は、御霊による新生のない告白だったのではなかったか、自分の心は古い人のままで、新しくされていないのではないかと、自分の信仰を見直す必要があります。
なぜなら、
神の子は、神の御霊に導かれることを喜ぶからです。

御霊によって神を「父」と呼び、信者は「神の子」の立場を得た15節

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と 呼びます。

神からの刑罰を恐れて神に従うという生き方はもはや無用です。
神の子としてくださる霊を受けてわたしたちは神の養子となったのです。
神は、親しく「アバ父」とお呼びすることのできる私たちの父となったのです。

信者はキリストとの共同相続人 天国を相続する16-17

8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリス トとの共同相続人であります。

信者が救われていることは、神の御霊と新生した私たちの霊が証明してくださっています。父の財産を相続することができるのが、子としての権利です。

私たちが、この世において、将来現わされる神の国(天国)をキリストと共に受けるために、キリストと苦難を共にしているなら、わたしたちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。私たちは、キリストと共に御国を与えられ、キリストと共に御国を統治する者になるのです。

将来あらわされる神の国は、私たちの想像をはるかに超えた素晴らしいものです。パウロはこのことの実現を、今から望み見て喜んでいます。

<ローマ書8章1-17節 考察>

考察1 罪との戦いにおいて、第一に必要な条件は「新生している」こと。

罪を死なせることは、御霊による。だから新生していなければならない。

古い人は神に反抗し、神に従うことができません。神を喜ばすことができません。
古い人はいくらがんばっても、罪に対しては無力です。完全に善を行えないために罪に定められます。
このことを、今日の聖句によって教えられました。ローマ8章7-8節

罪を駆逐するのは御霊です。御霊によらなければ、人間には不可能です。
ですから、信者は新生していなければなりません。新生していない人は御霊を持たないからです。
古い自己が生きることを嫌って、古い人がキリストとともに死んで葬られていなければなりません。
そして、御霊によって生きる新しい人が、信者の内に生まれていなければなりません。
ですから、
新生が、クリスチャンの救い、聖化、完成にとって、なくてはならない前提条件です。
新生がなければ、「救い」も、「聖化」も、「完成」もありません。
このことをローマ8章9節は「御霊を持たない者はキリストのものではありません」と証言しています。

生まれつきの自分に可能性を認め、古い人を改善して神に喜ばれようとしても死に定められる。
そうではなくて、古い人を葬って、神から与えられる新しい人を得なければならない。

また、古い自己に価値を認め、改善して生かすことを望む人は、自己を葬ることができません。
そのため、新生することもありません。
その人には、古い人による肉の努力しか頼りにできるものはありません。
しかし、いくら努力しても罪を消すことはできません。

ローマ8章は、そのような人は結局は、罪に定められ、永遠の死に定めされると語っています。

考察2 「新生したクリスチャン」はどのようにして罪と戦うのか。

 1.人間的努力で罪と戦う責任はない。与えられている御霊に従って戦う責任がある。

神は、肉に責任を負わせない、御霊に従って歩むかどうかに責任を負っていると語っています。12節
12 So then, brothers, we are debtors, not to the flesh, to live according to the flesh. 13 For if you live according to the flesh you will die, but if by the Spirit you put to death the deeds of the body, you will live. 14 For all who are led by the Spirit of God are sons of God. (Romans8:12-14 NSV version)

神は私たちにできないことを要求していません。神は新生した信者に、御霊の力強い助けを与えています。しかも、御霊の支配は、罪の支配の力を圧倒して信者をおおいます。ですから新生した人にとって決して難しいことではありません。

2.御霊の働きは力強いものである信仰を持つこと。

神は、御霊に従うことによって律法を守るようにと勧めておられます。

私たちは御霊が私の内にあって働き続けていること、その偉大な力をどれだけ認めているでしょうか。御霊の力は罪の力を勝るものであることを認めているでしょうか。(6章参照)
この信仰を持っているかどうかで、罪との戦いにおいて勝利の確信を持てるか、それともほかの人間的な手法を用いたくなるかの違いが生じます。

3.御霊に従うことで、罪に支配される古い自己を殺し続けること。

3-1 肉の思いか御霊の思いか、キリスト者の心にも葛藤はある。

御霊の思いは肉の思いに反し(5-7節)、御霊の支配は罪の支配を圧倒するために(6章)、御霊に従うならキリスト者は罪に打ち勝つのです。

罪の思いと御霊の思いは互いに反するため、人はどちらか一方に支配されて、その奴隷となります。(8章5-7節)人はその両方の思いを同時にかなえることはできません。御霊が勝つか肉が勝つか、ここにキリスト者の葛藤があります。

3-2 私たちの責任は御霊に従うこと。御霊によって肉の思いは退けられていく。

しかし、わたしたちキリスト者は御霊の支配の中に入れられた者、キリストと一体となっている者です。
そして御霊の力は罪の力を圧倒します。御霊の支配は、罪に支配される自己に勝利してくださいます。
御霊は、罪の思いが私たちを支配して、私たちが罪を犯すことから守ってくださる。
そして、神は信者が彼らに内住する御霊に従う責任を負わせています。
御霊に従わない信者は、神の恵み(助け)だけを受け取って、自分がなすべき責任を果たさない不忠実なしもべです。神の御霊を悲しませることです。そのようなことにならないようにしなければなりません。

4.新生したクリスチャンは、良い実結ぶ。

新生した人は、罪がゆるされて、天国が約束されただけの人ではありません。
救われたといっても、相変わらず罪を犯し続けるみじめな人ではありません。
新生した人は、以前のままでいることはできません。力強く働く御霊の影響を受けているからです。
御霊をいただいているのに、罪に支配され続ける方が不自然です。

新しくされた人は、御霊に従うことを喜び、罪に勝利していく人になります。
その結果、神の御霊によって変えられた良い実を結び、人がそれを認めるようになります。

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