「罪の力、世の脅かしは信者を負かすことはできない。神の愛は信者を守り敵に勝利させる。」ローマ人への手紙8章28-39節

<ローマ8章28-39節概要>

激しい迫害の中で、また自分の罪との戦いで、うめくキリスト者たち。
1-17節では、信者は罪の支配から解放され、神の支配の下に入れられ、自分の力ではなく、御霊によって罪に勝利することができることを知らせた。
18-27節では、御霊のとりなしがあること。彼らが御心を見失うときにも、御霊のとりなしによって彼らは正しい道に導かれること。御霊が、信者の側に立ってとりなすため、父なる神は信者の弱さや苦闘を良くご存じであることが知らされた。
今日の聖句28-39節では、
第1に、与えられた救いが、神の計画であったこと。
信者の全生涯に渡って神が責任を持たれ、全てをご自身の目的のために益とされること。

第2に、信者には神の愛が注がれていること。この愛から、この世のどんな力も彼らを引き離すことができないこと。だから信者は、彼らの魂を勝ち取ろうとするいかなる攻撃に対しても圧倒的な勝利者であることを教える。

<ローマ8章28-39節解釈>

私たちは神の計画に従って召された。
神は召し出した人々のためにすべてのことを働かせて益とする。28

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

信者は、永遠の昔からの神のご計画にもとづいて救われました。
救われる前、救われた後の全人生を、神はあらかじめご存じです。
神は、信者を救っただけで、その後のことは信者にまかせるような無責任なことはなさいません。そうであれば天国に入る人は誰もいないことになります。ですから、神は天国に至るまで責任をもって信者に働かれ、彼らを導きます。
彼らの人生に起きる悪いことも含めた全てを働かせて、彼らをキリスト者とした目的を実現するために役に立つものとされます。そして最後には、彼らを完全に聖めて、天国に入れてくださるのです。

<聖句の解説>
益とする
信者に富や健康などの利益を与えるという意味ではない。
神が信者を召した目的が成就するために役立つという意味。

信者の人格の完成や、信者によってなされる福音宣教のために役立つという意味。

神の計画に従って召された。  29節
神はあらかじめ定めた人々をさらに召した。30節
私たちの救いを、神は天地創造の前から計画されていました。
ですから、救われた者への神の計画は確実に実現します。
エペソ1章4-6節には天地創造の前から救いに定められていたとあります。

御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた。29節
その目的は、御子を長子とする神の家族をつくるため。
御子イエスが、霊の兄弟姉妹(救われた人々の群れ)を与えられ、信仰の家族の中で、一番先に生まれた長子となるため。事実、キリストは十字架の死を通って、私たちの誰よりも先に天に昇られました。

あらかじめ定めた人々を呼び出し。(あらかじめ知っている人をさらに召し
呼び出すだけでなく義と認め。(さらに義と認め
義と認めるだけでなく天国を継がせる。(さらに栄光を与えた) 30節                    

私たちの救いが、神の永遠の昔からの御計画によるものであり、神から呼び出され、神から義を与えられ、救いを与えられ、天国を相続することも、あらかじめ定められていると30節は語っています。
神によって始められ、完成される救いほど確かなものはありません。

私たちは罪を宿し、罪の力と戦わなければならないみじめなものです。
しかし神はすでに、天の栄光の中に入れられ、心も体も栄化された私たちの姿を見ておられるのです。ですから「栄光を与えた」と過去形で宣言されています。

神は救いに定めた人に物質的、霊的援助をして彼らを完成させる31-32

8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

ご自身の御子キリストをさえ惜しまずに、私たちの救いのために犠牲とされました。信者に対する神の愛はこれほどまでに深いのです。神は御子をさえ与えたのであれば、罪と戦って苦闘するクリスチャンに必要なものを、与えてくださらないはずはありません。

神に選ばれ救われた信者を、誰も罪に定めることはできない。33-34

8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなして いてくださるのです。

新生した信者は神によって救いに選ばれた人です。
神が彼らを義と認め、天国を相続させると決めたのです。
神であるキリストが彼らのために弁護していてくさるのです。
神の審判を変えることができる被造物はいません。つまり、誰によっても彼らは罪に定められません。
もはや、キリスト者に不利になるような証言、キリスト者を訴えるいかなる訴えもしりぞけられます。

キリストの愛から信者を引き離すものはない
信者は神の愛によって圧倒的な勝利者となる35-37

8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

迫害、飢え、渇き、命の危険。キリスト者の生涯は迫害と困難の連続です。
しかし、その中にあっても、聖霊によって信者のうちに注がれている神の愛によって、彼らは耐え忍び、圧倒的な勝利者となります。

神の愛から信者を引き離すものは何もない35、38-39

8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

伝道者の生涯は苦難の連続です。しかし、どのような苦難も彼らに信仰を止めさせることはできません。

死もいのちも(死のおびやかしも、この世の命の保護も)
御使いも権威ある者も(御使いの権威、地上の権力者)
今あるものも、後にくるものも(現在・未来において存在するいかなる権威)
高さも、深さも(天上を支配する力も、深いハデスを支配する力)
そのほかどんな被造物も(神によって造られたいかなるもの

どのような迫害や困難の背後にある勢力も、主キリスト・イエスにある神の愛から、信者を引き離すことはできません。それほど強く、神の愛によって信者と神は結ばれています。

このときパウロは、困難の真っただ中にありましたが、その苦しみをものともせず、圧倒的な勝利を望み見て歓喜しているのです。彼らの内に宿る神の愛こそ、信者の希望、勝利の確信のいしずえ(基盤)です。

<ローマ書8章28-39節 考察>

考察1 キリスト者の戦いとはに何に対する戦いか。

神とサタンは、人の魂を取り合う戦いをしています。
ある人が、救われて天国に入るか、地獄に行くか魂の取り合いをしているのです。

キリスト者の戦いも同様です。
サタンは、信者を堕落させて信仰を捨てさせるためにやっきになっています。この世の楽しみや間違った教えなどによって彼らを神から離し、最後には地獄に入れようと攻撃を仕掛けてきます。

考察2 なぜ、キリスト者は圧倒的な勝利者となるのか。
なぜ、サタンの攻撃により非常に苦しめられても、信仰を保持して天国に入るのか。

1.信者の救いと完成が、神に定められているから。  28-30

信者の救いと完成は神にあらかじめ定められていました。
その目的は、定めた人を御子キリストの人格と似た者にするため、また、天において、キリストを長子とする神の民とするためでした。
このように、新生した信者は、未来の完成が神に定められた者なので、たとえ信仰のために迫害や困難を通っても、最後まで信仰を全うします。神の愛(聖霊)が彼らをささえ続け、完成まで至らせるからです。彼らを迫害した人たちは永遠の滅び(地獄)に入れられるので、信者は圧倒的な勝利者になります。

2.神が信者の救いを完成するために霊的、物質的な助けを与えるから。31-32

神は信者の救いの完成を決めておられ、信者の罪をゆるすために、ご自分の御子をさえおしまず犠牲にされました。ここまで与えてくださった神ですから、この世にあって苦闘する信者のために必要な助けを与えないはずはありません。
今必要な助けだけではなく、将来必要になるであろう助けのためにも、信者が祈る前から、神は備えをしていてくださっています。
この助けは、物質的な必要のための助けだけではなく、真理を知らせて正しい道に歩ませるとか、誤った教えから守るなどの霊的な助けも含まれます。ですから、神の配慮で守られている信者の信仰が勝利することは当然です。

3.信者の義認を神が定めているから。彼らは必ず天国に入る。33-34
誰によっても、何によってもその審判はくつがえされないから。

神は信者を義とするために、ご自身の御子キリストの命を惜しまずに犠牲にされました。復活されたキリストが、死後の魂をさばく審判者です。そうであれば、信者にとっては幸いです。彼らが罪に定められることは絶対にないからです。
そして、信者を罪に定めようとするどのような訴えも退けられるからです。

4. 信者は神の愛の対象となっているから。   35-39
神の愛は彼らから決して離れることがないから。

当時、キリスト者となった人たちは、非常な困難の中にありました。
迫害され、食べるもの、着るものにも困り、いつ殺されるかわからない命の危険にさらされていました。その様子は預言のことばの通りでした。

しかし、キリスト者から信仰を取り去ることは誰にもできません。なぜなら、彼らは、彼らは神に愛され、神が彼らの味方だからです。今は、迫害者たちから苦しめられていますが、時が来れば、神が彼らに敵対する者たちを滅ぼして地獄に投げ入れます。信者は、彼らを苦しめていた人たちに対して圧倒的な勝利者になります。

キリストは十字架のあがないによって、信者に対する愛を明らか示されました。それだけでなく、信者の内に聖霊として住んでくださり、愛を注ぎ続けてくださっています。キリストの愛は決して絶えることがありません。この世の何ものも、神の愛から信者を引き離すことはできません。

まず、神が信者を愛して信仰がはじまった。
わたしが神を愛したのではなく、神が私を愛し信仰を与えてくださった。

信者は神の愛によって信仰を守り通して天国に入ります。
救いは、まず人間の努力や決心があって、そこに神の助けが加わって成立するのではありません。まず始めに神の側から罪びとに対して愛が注がれ、その愛の力によって罪びとが新生し、信仰を告白して救われるのです。そして、神の愛は、彼らを死に至るまでささえて救いを完成させます。

考察3 救いが、自分からではなく神から与えられたと思える人は幸い。
この内的な確信は、信者を大いに励まし安心を与えるから。

この救いが、自分から始まったのではなく、神から始められたこと、神から与えられたことを知ることは、キリスト者にこの上ない喜びと安心をもたらします。なぜなら、神が弱い自分をしっかりと捕まえてくださり、救いの完成まで持ち運んでくださると確信できるからです。だからこそ、私たち救われたキリスト者は、迫害や困難に遭遇しながらも勇気を失いません。たとえこの世がどのように強力な力で私たちの信仰を阻止しようとして働いたとしても、神の定めを変えることは被造物にはできないからです。迫害者たちとて神の被造物にすぎないからです。神に敵対して勝利することはできないからです。
ですから、信者たちは圧倒的な勝利者となります。
私たちは、それぞれに与えられた持ち場で、信仰の戦いを勝利の確信を持って戦い抜いて行こうではありませんか。

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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?