イエスは1人1人に声をかけ、弟子とした
イエスはご自分で1人1人に声をかけ、弟子を集めた。声をかけられた者は皆、その場で持ち物、仕事、家族を捨ててイエスに従った。イエスはご自身がメシヤであることを彼らにわからせるため、彼らの前で奇跡を行った。
1、ヨハネによる福音書からわかること
イエスがヨハネから洗礼を受けた翌日、アンデレはイエスの話を聞いた。
彼はは、イエスが「メシヤ」だとわかった。
その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今ど こにお泊まりですか。」
イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らは イエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。ヨハネ1:35-39
アンデレは、兄シモンをイエスのもとに連れて行った。イエスはシモンをペテロと呼んだ。
彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶこと にします。」ヨハネ1:40-42
その翌日、イエスはピリポに声をかけた
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。ヨハネ1:43,44
ピリポはナタナエルにイエスを紹介した。イエスはナタナエルの隠れた善行を言い当てた。イエスは、ナタナエルが天の御国で天使を見るだろうと預言した。彼もまたイエスに従った。
彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下に いるのを見たのです。」
ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きな ことを見ることになります。」
そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ま す。」ヨハネ
2、マルコによる福音書からわかること
イエスはアンデレとシモンを呼んだ。彼らは漁師の仕事を捨ててイエスに従った。
ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。マルコ1:16-18
その後、少し行った先でゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネに声をかけた。
彼らは、父、雇人を残してイエスについていった。
また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。マルコ1:19-20
3、ルカによる福音書からわかること
イエスは魚が大量に取れる奇跡を行った。それを見たシモン、ヤコブ、ヨハネは全てを捨てて従った。
群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも 沈みそうになった。
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。
それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をと るようになるのです。」
彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。ルカ5:1-11
取税人レビ
収税所にすわっているレビにイエスが声をかけた。彼はすぐに立ち上がって従った。
レビは自宅で大ぶるまいをした。律法学者はなぜ取税人を弟子にするのか質問した。
イエスは、自分は正し人ではなく罪人を招くために来たからだと答えた。
イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって 従った。
それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、 イエスに従っていたのである。
パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人 や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために 来たのです。」マルコ2:13-17
この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み 食いするのですか。」
そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」ルカ5:27-32
イエスについていった人々
- 罪人たち、取税人たち
律法学者たちはこのことでイエスを非難した。
イエスが(レビの)家で食卓についておられたとき、大勢の税金取りや罪人も、イエスや弟子たちと同席していた。──(すでにこの時)多くの人がイエスに 従っていたのである。──パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事を するのか。」マルコ2:15,16
取税人ザアカイ ルカ19:2-10参照
- 百人隊長 死にかけたしもべをいやしてもらった。ルカ7:2-10
- 罪深い女 イエスの足を涙で足を濡らし、髪の毛でぬぐい、足に口づけて香油を塗った。ルカ7:36-50
- 大ぜいの女たち 7つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリヤ ルカ8:2-3
自分の財産を提供し弟子たちを助けていたクーザの妻ヨハンナ、スザンナ
イエスは12弟子を選び、使徒と名づけた
イエスは12人を選び、彼らを使徒と名づけた。
このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。ルカ6:14-16、マルコ3:14も参照
このとき使徒が誕生した。イエスが選んだ12人である。これ以外の人物として使徒となったのは、ユダの裏切りの後、神が選ばれたマッテヤと復活後に主が立てたパウロのみである。もし、今使徒だと名乗るものがいれば、それはにせものである。イエスは弟子の務めについて教えた マタイ10:5-42
イエスの弟子とはどのような者かを教えた
- イスラエル人に伝道しなさい。外国人に伝道してはならない。マタイ10:5,6
異邦人の時がまだ来ていなかったためだと思われる。
復活後、弟子たちに現れたイエスは「全世界に出ていき福音を述べ伝えよ」と言われた。 - 「天の御国が柄づいた」と伝えなさい。
この時は、「キリストによる罪の赦しのわざが間もなく行われる!だからイエスを信じよう!」
私たちの場合は、「救いのわざは完成している。主の再臨は近い。今イエスを信じて罪赦されよ!」
行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。マタイ10:7
- 彼らが信じるために奇跡を行え、病をいやせ。金は取るな。
病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。
あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。マタイ10:8 - 伝道のために必要ものは、神が与えてくださる。福音に理解を示す人のお世話になりなさい。
胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。どんな町や村にはいっても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。マタイ10:9-11
- 伝道しても反対する者はほおっておけ、新しい人に伝道せよ。10:14,15
もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。マタイ10:14,15
彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あな たがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。マタイ10:23 - あなたがこの信仰を持っているために、人々はあなたがたを嫌うだろう。
あなたは、親、兄弟、子から憎まれるだろう。
だからといって、彼らの前で私を知らないと言うなら、キリストの弟子とはいえない。
家族よりも神を愛し、家族よりも神に従う者が弟子としてのふさわしいあり方である。
わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。マタイ10:34-39 - イエスから聞いたことを人々に知らせよ。迫害者を恐れてはならない。
神はあなたのことを全てご存じだ。だから安心せよ。神のゆるしなしには、人はあなたに何もできない。
たとえ彼らがあなたを殺すとしても、あなたの魂に何もすることはできない。あなたは天国に入る。
だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れ なさい。
二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。マタイ10:26-31ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。マタイ10:32,33
- その人がイエスの弟子だからという理由で助けた者は、神からの報いに漏れることはない。わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはあ りません。マタイ10:42
なぜイエスと律法学者たちは対立したのか
宗教学者は、律法を守ることが信仰だとした。
イエスは、を守ることが律法を守ることよりも重要だとした。
- 安息日にはいっさいの労働が禁止されていた。安息日を守ることが一番重要だとされた。
しかしイエスは安息日を守ることよりも、人の命を守ることのほうが重要で、
そのためには安息日に労働をすることもゆるされると言った。
弟子たちは安息日に、歩きながら麦の穂を摘んで食べた。穂を摘むことは収穫である。
このことは律法違反の行為であった。しかしイエスは安息日よりも人の命が大切だと言った。
ダビデが命を狙われて逃げた時、祭司が彼に神殿のパンを与えたことから証明した。ルカ6:1-5 - 儀式を守って外側を信仰深く見せるよりも、心が神に従順であることのほうが重要だとした。
弟子たちは手を洗わないで食事をした。イエスはこれらについて注意しなかった。
イエスは外側を清めることよりも、心を清めることの方が大切だと言った。マタイ15:1-19 - イエスは安息日に病人をいやした。このことが律法学者を怒らせた。
イエスは、安息日は人のためにあると言った。本来安息日は、労働の疲れをいやすために設けられたものだった。ところが、それがいつの間にか安息日に何もしないという規則を守ることが信仰上最重要なことになっていった。そして安息日がかえって人の暮らしを不自由にしていた。
イエスは、安息日が人間を傷つけ苦しめている現実をズバリと指摘した。
安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
人の子は安息日にも主です。マルコ2:27,28 /ルカ6:6も参照
律法学者たちは、律法を守るための人間の努力をほめたたえた。
イエスは、律法を守れなくて、自分の無力を悲しむ人々を愛した。
「律法学者たち」よりも、「聖霊」に神の奥義を教える権威を置いた。
- 律法学者たちは、律法を守ることができる人を賞賛した。
律法学者たちは、律法を守ることで神に愛され祝福されると教えた。
彼らのいう祝福とは、財産や子孫が豊かに与えられることであった。
しかし、イエスは律法を守ることで罪の問題が解決したと思うのは間違いだと言った。 - イエスは、律法が守れないため、自分の罪に気づく人が神に近いと言った。
また、助け主(聖霊)がもうすぐ与えられることを預言した。
聖霊が来れば、人の努力ではなく、聖霊が人を教え、聖霊が律法を守らせてくださると言った。
イエスは、律法学者たちよりも、聖霊に、神の教えに関する権威を置いた。
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるた めにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知って います。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。ヨハネ14:16,17しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのこ とを思い起こさせてくださいます。ヨハネ14:26
なぜ罪人たちがイエスについていったのか
自分の義を誇る人よりも、自分の罪を悲しんでいる人が神に愛されると説いたから
当時、書かれた律法のきまりを、努力とか自制心を最大限に働かせて守ることが信仰深いことだとされた。
守ることができる者が尊敬され、神から祝福を受けるとされていた。
しかし、イエスは律法を守っている人々の心に生じる、おごり高ぶりを嫌われた。
それよりも、律法を守れな自分の罪を悲しむ人の祈りが神に届いているとイエスは言われた。
自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようでは ないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くす る者は高くされるからです。」ルカ18:9-14
当時罪人だと見なされていた取税人、遊女、病人のところに出向いて、神の国を伝えたから
当時人々は病気は神ののろいであって、その人やその人の先祖の罪が原因で起こると考えていた。
イエスは、病気や障害を持つために当時の社会から罪人と見なされていた人々に自分から近づき、
神の国を述べ伝えられた。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。ヨハネ9:1-3
なぜイエスは身分の低い者たち、罪人たちを弟子にしたのか
イエスの教えを、先入観な無しに正しいかどうか判断できるから
イエスの教えは、宗教学者たちが教えていたことに、真っ向から反対する教えだった。
そのため、彼らはイエスを嫌い、イエスの誤りを見つけることにやっきになった。それにも失敗した彼らはイエスを殺した。
新しい教えを伝えるためには、それまでの宗教にどっぷりつかっていない人がふさわしい。
弟子たちは律法を厳格に守っていなかった。彼らは、素朴な人々であった。律法について深く学んだこともなかったと思われる。彼らにとって、毎日の生活の糧を得ることが最大の関心事あった。
だからこそ、彼らはイエスのなさったことを見て、イエスから話を聞いたとき、イエスの語ることが本当かどうか、先入観なしに
彼らの能力によらず、神が成されたことが明らかになるため
御霊が与えらえた後、彼らは大胆に語り人々を驚かせた。御霊によって彼らは変えられたからであった。
このように、神の御霊が全てを成したと人々が認めるために、神はあえて無学な者、身分の低い者を選ばれたのだ。
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたので す。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられま した。 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。第1コリント1:26-31
律法では義とされない、かえって罪人とされる人が、イエスによって義とされることを望み、
イエスの福音を伝えることができるから。
新しい教えは、新しい教師を立てて、新しく信者を集めなければならない。
律法の教えに固執する人々にとって、イエスの教えは彼らの信仰を否定しするものでしかないからだ。
イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれ ば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋も だめになってしまいます。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。ルカ5:36-38
イエスの復活後の弟子たちはどうなったか?
使徒たちは命の危険を犯して伝道した。そして、ヨハネを除いたすべての使徒が殉教の死を遂げた。
- ペテロ 逆さ十字架刑
ペテロは12使徒の最長老でリーダー的存在。ローマで布教していたが、AD67年、皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。その墓の上にサンピエトロ大聖堂が建てられた。初代ローマ教皇。 - アンデレ X字型十字架刑
アンデレはペトロの弟で、二人とも洗礼者ヨハネの弟子だった。彼は黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラ(Patras)でX字型の十字架で処刑された。アンデレが処刑されたX字型の十字架は「アンデレの十字架(セント・アンドリュー・クロス:St.Andrew’s Cross)」と呼ばれ、スコットランドの国旗(青地に白)やロシア海軍の軍艦旗(白地に青)になっている。彼は、スコットランドやルーマニア、ロシアの守護聖人である。また、正教会(ギリシア正教)の初代総主教とされている。
- ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ) 斬首刑
イエスの死後、スペインで布教活動を行った。エルサレムに戻るとキリスト教徒への迫害は激しくなっていた。彼もすぐに捕らえられて斬首され、使徒の中で最初の殉教者になった。
彼の遺骸はスペインのコンポステラに運ばれた。
【サン・ティアゴ・デ・コンポステラ】
スペインにおけるレコンキスタの最中にヤコブの遺体が発見され、イスラム勢力と闘うキリスト教徒を守るシンボルとして崇められた。 法皇レオン3世はこの地を聖地に指定し、ローマ、エルサレムと並ぶ巡礼地になった。ヤコブはスペインの守護聖人である。 - ゼベダイの子ヨハネ(大ヤコブの弟) 離島に流刑 釈放後エペソで死亡
大ヤコブの弟でイエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの弟子。
ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。
使徒の中でただ一人殉教せず、エーゲ海のパトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した。 - ピリポ 十字架刑
ピリポは、ペトロやアンデレと同じ町の出身である。
彼はエチオピアの女王に仕える宦官に福音を伝え洗礼を授けた。その宦官がエチオピアに戻りエチオピア教会を設立した。エチオピアや北アフリカには、かなり早い時期にキリスト教が普及している。
その後ピりポはトルコで宣教を行った。ヒエラポリスの町ではマルス神殿に住みついた悪龍を退治し、龍にかまれた大勢の人々の命を助けた。町の支配者や異教の神官はこれに反発し、彼を逆十字に縛って処刑した。彼はヒエラポリスに埋葬された。 - バルトロマイ(別名ナタナエル) 殉教
ピリポのすすめでイエスと出会い、5番目の弟子となった。イエスの死後インドからアルメニアで伝道活動をしていたが、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殺された。 - マタイ 殉教
マタイは町の徴税人で、嫌われ者だった。 彼が「マタイの福音書」の著者である。
キリストの死後、エルサレムの教団内に留まり、その後エチオピアあるいはトルコで殉教したといわれる。
- トマス 槍で殺される
トマスは、イランからインド方面に伝道した。南インドにはトマスが設立した教会がある。
西暦68年~75年ごろ、殉教しチェンナイ(旧マドラス)に葬られた。 - アルパヨの子ヤコブ(小ヤコブ)殉教
イエスの処刑後エルサレム教会を代表する人物として活躍し、初代エルサレム司教になった。
新約聖書「ヤコブの手紙」の著者ともいわれている。エルサレム神殿で布教中に屋根から突き落とされ、こん棒でたたかれて殉教したといわれている。彼を描いた絵画には、こん棒が多く描かれている。 - シモン 殉教
シモンはローマの支配に抵抗するユダヤ人の政治集団熱心党のメンバーだった。
イエスの磔刑後エジプトに伝道し、その後タダイとともにペルシアやアルメニアで活動し、そこで殉教したといわれる。シモンはのこぎりで切断されて処刑されたという。そのため彼を描いた絵画には、のこぎりが描かれているものが多い。 - イスカリオテではないユダ(タダイ)殉教
タダイはバルトロマイとともにエデッサ(トルコ南東部のウルファ)やアルメニアに宣教したといわれる。
- マッテヤ 殉教
イスカリオテのユダの後任として、くじ引きで12使徒に選ばれた。
彼は、トルコやカスピ海地方、また遠くエチオピアまで布教したようである。