2編8章11:律法は、神との関わり方、隣り人と関わり方を教える
- 第1に守るべきこと 神と正しく関るように=神を礼拝し、神に従うこと
- 第2に守るべきこと 隣人と正しく関わるように=隣人を愛すること
- 聖書は、第1の戒めを守る者は、第2の戒めも守ることができると教える。
第1の戒めを守らない者は、第2の戒めも守れないと言う。
2編8章11:義の第一の基礎は礼拝 これがくつがえると全てが崩壊する
- 礼拝は義の「はじめ」であり「基礎」である。礼拝が欠如した人たちの公平や節度はむなしい。
それは、条件つきで成り立っていることが多く、もろく崩れやすい。 - 神への恐れをなくしては、人々の間に、公平も、愛情も保つことはできない。
- 人間は、神の教えを、正と不正を判断するための計りとして認めるに至って、はじめて赦し合い、相手を傷つけることを嫌って、共生することができる。
2編8章13~32:第1戒~第4戒 神との関係に関する戒め
- 第1の戒め:主のみを拝むこと。他の神々を拝んではならない。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。申命記5:7
- 第2の戒め:神の像(偶像)を作ってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはな らない。 それらを拝んではならない。申命記5:8
- 第3の戒め:神の名をみだりに唱えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。申命記5:11
- 第4の戒め:安息日を守ること。6日間働き、7日目は休んで、神を礼拝する日を持つこと。
安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。申命記5:12,13
考察1:神が安息日を定められたのはなぜか?
安息日は、われわれが完全に休むこと、神を瞑想し、神に憩うことの外的なしるしである。
- 安息日を守ることは、主の民であることの「しるし」である。
- 神のことを思う日を持つため。人々を定期的に集め、神を礼拝するため。
礼拝において、人々に儀式を行い、神のさだめを教えるため。 - 労働に疲れた人々に、休息を与えるため。
現代では、安息日の代わりに神を礼拝するために、クリスチャンは日を聖別して集まっている。
2編8章35~50:第5戒~第10戒 人との関わりに関する戒め
- 親を大切にすること。(5戒)
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。申命記5:16
親を大切にする理由
1、神が、両親を自分の上に置かれた。だから両親を敬うのである。
2、両親がいなければ自分は生まれていないから。
3、両親を大切にする者は神に祝福されると聖書は言っている。
4、ただし、親が神に逆らう命令を下すときは従うことはできない。 - 人を殺すこと、人の命を危険にさらすことは罪。(6戒)
殺してはならない。申命記5:17
他人の肉体に危害を加えること。他人に悪巧みを計画すること。
他人を死の危険から救い出す努力を怠ること。これらはすべて罪である。
もっというならば、「滅びていくたましい」を救う努力をしないことも罪である。
- 結婚相手以外と性的関係をもつことは罪。(7戒)
姦淫してはならない。申命記5:18
結婚以外の男女の性的関係を、神は呪われる。
結婚は、私たちが性を乱用することがないために定められた、神の救済策である。
結婚による以外に男と女の性的関係は、神の呪いなしにはすまされない。
- 他人のものを盗むことは罪。(8戒)
盗んではならない。申命記5:19
各人の所有となっているものは、偶然によってそうなったのではない。それは神の配分したからだ。
悪だくみによって、他人からその持ちものを奪うことは、神の配剤を犯す行為であり、神に対する反逆の罪である。
- 偽証をして他人を苦しめることは罪。(9戒)
あなたの隣人に対し、偽証してはならない。申命記5:20
他人に害を及ぼすいかなる策略もしてはならない。
- 他人のものを欲しいと思うことすら、罪。(10戒)
ああなたの隣人の妻を欲しがってはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。申命記5:21
たとえ実行しなくても、悪い思い、罪への衝動を感じることをも罪であって、聖書は禁じている。
人間への要求は高い 神は隣人愛に反することは、いかにささいなことでもゆるさない。
- 神を考えることに、いっさいの隣人愛の根拠がかかっている。(5戒~10戒のまとめ)
十戒は、神への恐れと敬いを基礎としていなければ、守れない。
2編8章51~52:律法の目的
- 人間生活において「神の形」を示すこと。
- 神を愛することが、清さを完成するための原点
律法の教えのめざすところは、人間が生活の聖さを保つことにおいて、神に頼り、神にすがることにある。 - 律法はキリスト信仰への導き手
人は律法を守ることによっては天国に行けない。律法は、これを守るために神の助けを必要とすることがわかるために与えられた。神により頼むための導き手である。
2編8章54:キリストが言われた2つの大切な戒め(きまり)
「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」マタイ22:36-40
- 心から神を愛すること
「心をつくし、精神をつくし、力をつくして神を愛すること」
まず、神への愛が私たちの心に満たされなければならない。
それがあってこそ、隣り人への愛がそこからさらに出てくるのである。 - 自分を愛するように他者を愛すること
人間は生まれつき自分自身への愛に全く傾いていて、他者がどうであれ、自分を愛することだけは忘れない。
そうであるから、自分が自分のことを愛し、自分に対して特別な配慮するように、他者に対しても同じようにしなさいと勧められているのである。
考察2:「自分を愛するように他者を愛する」の誤った適応に気をつけよ!
(注意)
ここで言う避けるべき「自己愛」とは、必要以上に巨大化した不健全な自己に対する「愛」や「配慮」です。
最近、多くのキリスト教会では、「自分を愛するように他者を愛する」聖句の誤った適応が教えられている。
それは、この聖句は「自分を愛せなければ、他者も愛せない。」という意味です。
だから、もっと自分を愛しましょう、そうすれば他者を愛することができます。」というものである。
上記で書いたように、人間は生まれつき自己愛をもっている。
その思いは非常に根強いことを私たちは皆知っている。
それは他者を陥れても、自分が益を得ることまでするほどである。
この適応は、自己愛を不健全に巨大化させる。その結果、他者を愛することをさらに困難にする。
なぜなら、他者への愛は、多くの場合自己を犠牲にすることを要求される行為だからである。
また、不健全な自己愛が強くなるとき、神への愛も薄れていき、神に従うことも困難になる。
なぜなら、神への愛は、自己愛を上回るものだから。
そのため、人は困難な状況に陥ることを覚悟して、自ら進んで神の命令に従うことだから。
神への愛と敬いが、律法を守らせる基礎だということを、この章で私たちは学んだ。
つまり、不健全な自己愛がふくらむとき、律法を守ることも困難になる。
律法は、人間が他者と平和に暮らしていくための知恵である。
これをないがしろにするなら、必ず痛い目に会うことになる。
正しく聖書を解釈して適応することが、非常に重要です。誤った解釈から誤った適応が生まれる。
まちがって聖書のことばを適応すると、自分の人生を破滅させることになりかねない。
私たちは、正しく自己を知り、正しく聖書を適用しまたいものです。
聖書は、正しく適応するとき、私たちの人生を豊かにし、天国にまで導いてくれます。