テトスへのすすめ
2:1 しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。
健全な教えで信者を成長させなさい
クレテの教会には、真理に反することを教えて人々を惑わす教師たちがいました。(テトス1:10)彼らの多くはユダヤ教の儀式を守ることを異邦人に勧めたようです。(テトス1:11)その1つとして、律法に定められた食べ物の決まりを異邦人も守らなければ救われないと教えたのです。(テトス1:15)
しかし、彼らの教えは間違っています。クリスチャンは律法を守ることによる救いから解放されたからです。
ですから、パウロは「健全な教え」によって信者を成長させるようにとテトスに注意を与えています。
教会の信者へのすすめ
2:2 年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。
年配の男性たちは、自分の品位と実践を正しいものに保つ努力をしなさい
ここでの「自制する」はギリシャ語で「酒を飲むことにおいて節制する」という意味がある言葉です。現在も同じですが、当時も酒の誘惑は大きかったと思われます。大酒を飲み乱暴に振る舞う者が多くいたのでしょう。
この当時、老人たちは家長として権威を持って、家族を従わせていました。
また、年配の男性は、教会でも重要な地位についていました。
もし、自分の持つ権威を、誤って用いるなら、家庭が、教会を傷めることになります。
彼らの上に権威を持って、彼らを戒めることができる人は少ないのです。
ですから、なおさらのこと、自分で、自分の信仰と実践を、吟味し、矯正する努力が必要です。パウロは、年配の男性に対して、健全であるように戒めています。
2:3 同じように、年配の女の人には、神に仕えている者にふさわしくふるまい、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。
2:4 そうすれば、彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、
2:5 慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
年配の婦人は、若い婦人の模範になる人でありなさい
年配の婦人は、大酒がやめられない人や、人のうわさ話や悪口を言って楽しむ人であってはなりません。彼女たちは、信仰の先輩ですから、若い婦人たちの模範となり、良いことを教えることができるように自分を整えなさい。(3)
そうすれば、神の道に歩まない婦人たちを教え、正すことができます。
家事にはげんで、夫や子供に愛情を注いで良く世話をし、他の男と遊んだりせず、善良であるようにと、神のみこころに従わない若い婦人を説得することができます。自分が実行していなければ、他人を説得することはできません。
このことは、信者の悪い行いによって、その信仰まで悪いと、未信者たちに悪く言われることがないようにするためです。(5)
2:6 同じように、若い人には、あらゆる点で思慮深くあるように勧めなさい。
若い婦人は思慮深くありなさい
若い婦人は、何が御心で神に喜ばれ、何がそうでないかを判断できるように教育しなさい。
2:7 また、あなた自身、良いわざの模範となりなさい。人を教えることにおいて偽りがなく、品位を保ち、
2:8 非難する余地がない健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて何も悪いことが言えずに、恥じ入ることになるでしょう。
テトスは、信者の模範となりなさい。健全な教えによって人を導きなさい。
牧会者自身が、信徒の模範となり実践する者でなければなりません。
そうでなければ、信徒は彼の教えに聞き従わないでしょう。
牧会者は、正しい福音を伝えなさい。また、良いわざに励み、教会員たちにキリストを信じる生き方の模範を示す者となりなさい。(7)
そうするなら、キリストを信じることを止めさせようとする者たちは、私たちに悪を見つけることができず、返って自分の間違いに気づいて恥じ入ることになるでしょう。(8)
2:9 奴隷には、あらゆる点で自分の主人に従って、喜ばれる者となるようにし、口答えせず、
2:10 盗んだりせず、いつも善良で信頼できることを示すように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。
奴隷は主に忠実でありなさい。良い働きをしなさい。
奴隷の立場である信者には、主人に忠実で信頼ができる働きをするようにすすめなさい。主人のものを盗む、主人を裏切ることはしてはいけないことを教えなさい。
奴隷である信者の良い働きぶりは、神の教えが彼らに実らせた、人の目に見える信仰の実です。
彼らを通して、キリスト信仰の素晴らしさ、正しさが現わされるようになるためです。
キリストの再臨を待ち望んで、正しい生活をしなさい
2:11 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
2:12 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
キリストは、私たちが再臨を待ち望んで、
欲を捨て、神を礼拝し、正しい生活をすることを望んでおられる。
旧約時代から神が約束されていたメシヤが現れたのです。神ご自身がキリストとして現れ、罪人を義とするために死んで復活してくださいました。
このことにより、キリストが成就した罪の赦しに預かりたいと願う者はすべて、神が義と認めてくださるという、神の恵みが明らかにされたのです。(11)
神が、これほどまでの慈愛を私たちに現わされたのですから、信仰に入った私たちは、神を敬い、この世での欲望を捨て、神の前に正しく歩まなければなりません。キリストが私たちのために死なれたのは、ご自分が選んで救い出した者たちの人格をきよめ、良いわざに熱心にならせるためでもあるのです。(12-15)
2:15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。
テトスは権威をもって語り、勧め、戒めなさい。
もし、教師が健全な教えを伝えているならば、その教師は、信者を教え、間違いを戒め、正しことを勧める権威を神から与えられている人です。
そうであるなら、信者たちは、牧会者が自分よりも若いからといって、従わないことはゆるされません。
また、テトスは、自分が信者を教え、間違いを注意する権威を持つことを自覚して、権威を持って教会を導くことが重要です。
テトスへの手紙2章 考察
Ⅰ 「健全な教え」によって、信者を導くことが牧会者の使命
1.「健全な教え」だけが、良い実を実らせる
「健全な教え」だけが、信仰を正しく成長させ、良い行いの実を実らせるから。
教会に健全な信仰を持つ信者が増える時、健全な教会が立ち上がるからです。
2.「健全な教え」とは、イエスやパウロが教えたこと
キリストが宣べ伝えた福音であり、パウロが神の啓示により理解した福音です
私たちは、福音書に書かれたキリストの証言や、パウロ書簡をよく調べて、
彼らが宣べ伝えた福音を自分のものとしなければなりません。
3.キリストが成してくださったこと、その意味を人々に解き明かすことが、
「健全な教え」を伝えることになる。
パウロは、十字架に掛けられたキリスト以外のことは、話さないと宣言しました。(1コリント2:1-2)
「健全な教え」とはキリストが成してくださったことを正しく解き明かすことです。その内容とは次のようなものです。
エペソ2章1-9節から引用します。
- 私たちは罪と罪過の中に死んでいた者であって、自分の肉と心の望むままを行い、生まれながら神の怒りを受けるべき存在であった。
- 神は大いなる憐れみをもって、罪人を救われた。
- 行いではなく信仰によって救われた。
- 救いは、人の功績によって勝ち取るのではなく、ただ神の恵みによる。
4.「健全な教え」によって、信仰が正され、クリスチャン本来の生き方ができるようになる。(聖化)11節―14節
その生き方とは テトス2章の11から14節に書かれています。
- この世の欲を捨てるように11節
金に執着しない、持っているもので満足する。(第1テモテ6:9) - 神を敬い、神を恐れる心を持つように(敬虔) 11節
誰が見ていなくても正しく行おうとする、なぜなら神が知っておられるから。 - キリストの再臨を待ち望んで生きる 13節
不信者にとってキリストの再臨は恐怖でしかありません。しかし、信者、特にキリストに従う真の信者にとって、主の再臨は喜ばしい時です。なぜなら、彼らの信仰のための労苦が永遠に報われる時だからです。
5. 伝道者は、権威をもって「健全な教え」を伝えなければならない
「神についての健全な教え」は世の人々にはおろかに聞こえます。(1コリント2:14)
ですから、伝道者は福音を語る時、自信なく小声になったり、馬鹿にされると思われる部分を隠そうとする誘惑にかられます。
しかし、パウロは、馬鹿にされるとおびえるのではなく、大胆に彼らの間違いを指摘して責め、神を信じるようにすすめなさいとパウロは言っています。1コリント2:15
なぜこのように大胆に宣教をするべきなのでしょうか。
なぜなら、「健全な教え」を伝える者は、神からの権威を帯びているからです。
そして、非常に重要なことは、「おろかに聞こえる教え」を聞くことによって、救いに選ばれた人たちは神に立ち帰るからです。
ですから、伝道者は、愚かだと見下されることを恐れないで、大胆に「健全な教え」を語らなければなりません。人々から賢いと思われたい誘惑に負けてはいけません。
賢いと思われたい教師たちは、聖書と科学の両立(アダムは進化によって創造された、ビックバンによる天地創造)や、リベラル神学(奇跡を常識で理解しようとする教え)を伝えるようになります。つまり、この世で知者であると認められ、人々の賞賛を得ようとするなら、「健全な教え」を語ることができなくなります。
「賢く聞こえる福音」は、人生最後の試練である「死」に打ち勝つ信仰も、死後その人を天国に入れることもできません。
ですから、伝道者は「健全な教え」に固くとどまり、権威をもって人々を教え、神を信じること、神に従うことをすすめ、神に反抗することを戒める者でなければなりません。
Ⅱ 真の信者は、良い行いも定められている 14節
神は、救われた後に私たちがする良い行いをあらかじめ用意していてくださっています。(エペソ2:10)
1.だから、罪の力に勝る、神の力を信じ、御霊に大いに従っていきましょう。
神が私たちをお救いになったのは、私たちが良い行いに励むためです。
ですから私たちは、御霊が良い行いができるようにしてくださるから、自分の努力はいらないと勘違いしてはいけません。
かえって、内住する御霊の働きによって聖化されることを強く望まなけれななりません。そのために、自分の肉の性質を嫌い、御霊に従う歩みをしなければなりません。
ですから、救いと、救われた後何をして神に栄光を帰するかは、あらかじめ神が定められておられます。自分は罪があり、不完全であるけれども、御霊によって、聖い歩みができるように定められているのですから、大いに御霊に従って歩んでいこうではありませんか。
2.「救い」と「救われた後の良い行い」は互いに深く結び合っている
生まれる前にあらかじめ救いに選ばれたと同様に、救われた後にする「良い行い」もあらかじめ定められている。
新生は救いを生じさせるだけではなく、私たちが救われた後、何して神に栄光を帰するかをも定めるのです。つまり、救いと行いは密接に関連しているのです。
神に選ばれ救われることは、神のための働きに任命されるということです。
私の救いは、生まれる前から神に定められていました。そして、私が救われた後にする良い行いも、私が産まれる前に神があらかじめ定めておられるのです。
神は私に関してのすべての計画を見せることはなさいません。通常は、その仕事をすることが必要になった時に、使命が明らかにされます。
大きな使命を果たすためには、そのための準備が必要になります。
私たちは、人生を振り返った時、神が準備させてくださったことを知ります。
ですから、ローマ書11章37節に書かかれたみことばが真理であるとわかるのです。
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。
私の義によらず、神の定めにより、私の人生に「神の良きわざ」が成されるという真理は驚きです。これは、何という恵みでしょうか。もし、私の義によることが少しでもあるなら、私はきっと神の計画を損なうことでしょう。しかし真理は、神が主権をもって人に行わせるので、善きわざが行われるのです。
私の人生に起きるすべての事は、神があらかじめ定めておられた事です。
私たちは、不幸な出来事、病気などで意気消沈してしまうことがあります。
「自分は神に見捨てられたのか。神は自分の人生に良い働きなど計画されていなかったのか。」私たちは神の愛を疑い、絶望することがあります。
このような時こそ、上記の聖句が示す真理を思い出して、立ち上がることができれば幸いです。