キリスト教綱要3篇9章「天国を待ち望むこと」

9:1神は私たちが天国をあこがれ慕うために、
艱難を送って私たちを苦しめておられる

  1. 私たちはこの世において、さまざまな艱難を経験する。
    なぜ、神は私たちを苦しいまま放置されるのか。
  2. その目的は、私たちがこの世に対する執着を防ぎ、天国をあこがれ求めされるためである。
  3. 私たちはこのような扱いによって、ゆさぶられることなしには、来るべき命のことを考えるようにならない。

9:5キリスト者は、「死」と「復活」の日を待望する者である

  1. キリスト者と自称しながら、「死」を恐れて、口にすることすら避ける者たちがいる。
  2. このことは、非常に残念である。なぜなら、キリスト者は死に勝利した者、「死」を待ち望む者であるからだ。この境地に至っていない信者は、正しく成長しているとはいえない。
  3. イエスは「復活の日は近い」といって、弟子たちを励ました。ルカ21:28

終末に希望を持ち、この視点から困難な状況を理解すること

  1. キリスト者は皆、キリストと同様、艱難や迫害、貧困にさらされている。
     私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
    ローマ8:35,36
  2. この世のことだけを見るならば、キリスト者は報われない。みじめである。
    もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。1コリント15:19
  3. 信仰のない者が不正で得た富や権力で、高慢になり、キリスト者たちを侮辱し、彼らからはぎとることがある。しかし、いったん天に思いを上らせるなら、これら理不尽なことを耐え忍ぶことができる。
  4. なぜなら、彼ら、主をあなどっておごり高ぶり、キリスト者を馬鹿にする者たちは、死後、主の裁きの座に立たなければならないからだ。
    その時、彼らの笑いは悲しみに、享楽は良心のとがめに、笑いは、泣きわめきと歯ぎしりに変わるからだ。彼らの行きつくところは、永遠の滅びである。また、主は、この世で彼らに苦しめられていたキリスト者たちには、涙を笑いに変えてくださり、永遠の命を与えて天国に住まわせてくださるからだ。
    つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の 中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
    2テサロニケ1:6,7
  5. ダビデもこのことを思い悩んだ。そして神に思いを上らせたときに、はじめて悟ることができた。
    しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。
    詩編73:2

 

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