第2テサロニケ2章「再臨のしるしについて、平安を持って再臨を迎えるための心構え」

主の再臨がすでに起きたと言いふらす教師たちがいた
そのため信者たちは動揺していた

 2:1 さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。
2:2 霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

「すでに主の再臨があった」と言う者達によって、動揺させられないように
主が再臨される日、キリスト者は主のもとに集められ、天で報いを受けます。
ですからキリスト者にとって、再臨は一番の関心事です。(1)

偽教師たちは、主の再臨を霊感で知ったという理由で「再臨はあった」と言い広めていました。
彼らは、たくみなことばで、「主の再臨が起こった」ことを宣言して、信者たちを惑わしていました。
さらに、パウロも同じ意見だと言う教師たちまでいたようです。
彼らは、その証拠としてパウロからの「にせの手紙」を作って人々に見せていたようです。
もし再臨が起こったのなら、信者たちは引き上げられなかったことになります。彼らは救われておらず、滅ぼされることになります。この知らせは、信者たちを大いに不安にさせました。
しかし、パウロはそのような「偽のうわさ」によって動揺してはならないと忠告しています。(2)

そこでパウロは、再臨について彼らに正しい知識を教えた

2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

主の再臨の前のしるしを知ることで「偽りのうわさ」を見抜くことができる
そこで主の再臨の前の「しるし」についてパウロは教えます。
「再臨した」という教師たちの間違を見抜くことができるからです。

主の再臨の「しるし」はどのようなものか。
第一に「背教」です。
「背教」とは、人が神の教えに反抗し、神の定めを破ることです。
自分の欲望をかなえるために、神を否定して生きることです。

人々は自分たちの行いが、罪であることを明らかにする「神」を嫌います。
その結果、国家や法律が、神の定めに反して運営されることになります。

「背教」は、教会の中でも起こります。 
信者たちは、自分たちの欲望を支持する「偽りの教え」を好み、真の信者や教師たちを迫害します。再臨が近くなるにつれて、これらのことが全世界で起こります。
ですから主の再臨が近い時代は、真の信者(本当に救われている人)にとって困難な時代になります。また未信者にとっては、「福音」を聞くことが難しい時代になります。

第2に「不法の人」に現れです。
人々の罪が満ちる時「不法の人」が現れます。
彼は、神として拝まれるすべてのものを破壊します。
そして自分こそ「神」であると宣言します。
聖所(おそらくエルサレム)に自分を礼拝させるための神殿を設け、全世界の人々が自分を拝むよう強制します。

これらが主の再臨の前に現れる「しるし」です。
この手紙が書かれた当時、「不法の人」は現れていませんでした。
ですから、テサロニケの人々が聞いた「主が再臨された」という「うわさ」は偽りだったのです

2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
2:7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
2:8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。

再臨はまだ起こっていない。主は「不法の人」の到来を引き止めておられる。
パウロはテサロニケに滞在していた時、「主の再臨の前兆」について、詳しく知らせていました。
それにも関わらず、教会の一部の人々は、「偽りの知らせ」によって動揺させられていました。(5)
「不法の人が現れ」は、主の再臨が間近に迫っていることの目に見える「しるし」です。しかし今、神はその御力により彼の出現を引き止めておられます。(6)

(神は、終わりの時まで不法の人が現れることがないように、悪を抑制しておられます。もし抑制している者が、聖霊だと断定するならば、抑制がなくなる終わりの時、聖霊は上げられ、教会は軽挙されるという「患難前携挙説」が正しいことになる。)

なぜ、神は不法の人の到来を引き留めておられるのか。
それは、不法の人は神が定めた時に現れるように定められているからです。
サタンの神に対する反抗と不法の人の出現の準備は、秘密のうちに着々と進められています。(7)

そして神が定めた時に、不法の人は現れます。
しかし彼の最後は滅びです。彼は神の御力によって、彼を取り除かれます。(7、8)

2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

不法の人の到来は、ほろびる人々のした悪を裁くためである。
サタンの働きによって、不法の人は出現します。彼は、地上で権力を持ちます。また奇跡をする力を持ち、人々に自分を礼拝させます。(9)
神は、未信者であれ、キリスト者と自称する人であれ、「神の真理を受け入れない人々」の心に働きかけ、彼らが偽りを信じるようにさせます。彼らは、不法の人に従うようになります。(10,11)
それは、真理を否定し、悪を楽しんでいた人々に「刑罰」が下されるためです。彼らは不法の人に従うことにより、不法の人と共に神の息吹によって滅ぼされます。(12)

2:13しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によってあなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
2:14ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。

あなたがたは、初めから救いに選ばれているから滅ぼされることはない。
神の真理に反抗する者にとって再臨は恐ろしいものです。
しかし、テサロニケの信徒たちは再臨を不安に思う必要はありません。
彼らは、はじめから救いに選ばれているからです。
神は彼らを、御霊によって聖め、神の真理を受け入れさせ信仰を持たせるようにと、天地創造の前から定めておられたからです。(13)
神は、パウロたちを用いて、テサロニケの人々に福音を聞かせることにより、彼らを救いました。神は、彼らを神の栄光に預かる者としてくださったのです。(14)

2:15だから、兄弟たちよ、しっかりと立ち、私たちの言葉によってであれ、手紙によってであれ、あなたがたに教示された伝承を堅く守りなさい。

私たちから受けた教えを堅く守りなさい。
終わりの時代には、偽りを信じさせるサタンの働きが活発になります。
ですからテサロニケの人々は、パウロたちから聞いたことや見たこと、パウロの手紙から学んだ、正しい教えにとどまるようにとパウロは勧めます。そして、それを次の世代の人々に伝え続けよと命じます。

2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
2:17 あらゆる良いわざとことばに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。

私たちを召して下さった神が、私たちを良いわざを行わせ、良いことばを話すことができるようにしてくださるように祈る。
神は、救いを与えてくださり、私たちの父となってくださいました。
私たちを愛し、私たちの罪を赦し、天国での永遠の命を約束してくださいました。
それだけではなく、憐れみ深い神は、聖霊として私たちの内に住んでいてくださいます。(16)

パウロは彼ら信仰の守りのために、神に祈ります。
神が、テサロニケの人々を良い行いに歩ませ、良い言葉を話すことができるようにしてくださるように祈ります。
迫害の中にあって、偽りの教えにより動揺させられる彼らを、神が慰め強めて、正しい信仰に堅く立ち続けることができるようにとパウロは祈ります。(17)
神はこの祈りに答えて、テサロニケの人々の信仰を守ってくださると、パウロは確信を持って祈っています。

第2テサロニケ2章 考察

考察Ⅰ 「再臨のしるし」とはどのようなものか。

1.人々が神を恐れなくなり、自由にふるまうようになる「背教」

終わりの世は、人々は神を恐れず、自分たちの欲望をかなえて生きる時代になります。
社会に悪が満ち、殺人や不正が横行します。
性的欲望の解放を認める社会になります。(結婚の軽視、同性愛)

2.教会にも「背教」起こる。教会が福音を否定する。異端が横行する。

「背教」は教会にも起こります。教会が霊的に堕落します。
教会内に異端の教えが広まります。
人々が自分の欲望を肯定してくれる神を望むためです。
神の主権を認めない自己中心の信仰が見られるようになります。

その結果、真の信仰者が迫害されるようになります。
なぜなら、真の信仰者は、そのような信仰が神への反抗であり、滅びに至ることを指摘するからです。
ですから、真の教職者や福音に忠実な教会および信徒にとって困難な時代になります。

3.これらの「しるし」の後に、「不法の人」が現れる。
「不法の人の到来」が再臨の重要なしるし。

人々の悪が満ち、安心して暮らしている時に、世界平和を実現する人物が現れる。
彼は世界の宗教を1つにする。
おそらく、初めの内は、宗教間の対話を実現して、イスラム教とキリスト教などの対立を無くすのでしょう。
しかし、最後には、あらゆる神々を否定して自分が神であると宣言します。
不法の人は突然現れ、全世界は彼に従うでしょう。
偽キリスト者、偽教会も不法の人の命令に従います。
これによって、その人の信仰が本物であるか、偽物であるかが明らかになります。

これらが、私たちが知らされている「再臨前のしるし」です。

「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである」。(マタイ24:4~24:8)}

今日、再臨の日を予告する預言者たちがいます。
私たちは、彼らにだまされて、主の御心に反する歩みをすることになってはいけません。
私たちは偽りのうわさによって、自分の弓を狂わせられないために、「終わりの日のしるし」について正しく知っておくことは重要です。

考察Ⅱ 再臨が近い時代のキリスト者のあり方
偽りのうわさに惑わされず、再臨のために備えができている生き方とは?

考察 Ⅱ-1 正しい信仰にとどまること 15節

私たちは、キリストを「神である」と告白していれば救われるのではありません。事実エホバの証人ですら、キリストを神だと告白しています。
救われて天国に入るためには、どのように信じているのかが重要です。

私たちは正しい信仰にとどまるために、聖書に書かれている神を知らなければなりません。神の定めた原則に従って信じなければなりません。ですから、聖書を読み調べることや、聖書から学んだことを人生に適応して生きることが必要です。このことは私たちを再臨に備えさせます。このことは私たちを、いつキリストが来られても、聖い良心を持って神の前立つことができる者にするからです。

考察Ⅱ-2 不法の人を見抜き、彼に従わないこと

不法の人は世界を一時平和にします。世界の人々は彼を英雄扱いするでしょう。多くの人は彼についていきます。
しかし「世界平和」という甘い言葉にだまされてはいけません。時のしるしを知っているキリスト者は、彼の出現がわかるはずです。ですから、たとえ迫害を受けても、困難に陥っても絶対に彼を拝んではいけません。

不法の人の現れによって、信仰者が「やぎ」(偽物)か、羊(本物)かが明らかになります。すべて救われていないクリスチャンと自称する人達は、不法の人に従い彼を拝むようになるからです。

クリスチャンの間での分裂や、裏切りが起こるでしょう。このことは、再臨がすぐそこまで迫ってきている証拠です。困難によって落胆しているのではなく、再臨が近いことを確信して信仰に堅く立つことが重要です。

考察Ⅱ-3 患難時代を通過する覚悟をしておくこと

キリスト者は、いつ困難な時代が来ても良い心構えをしておくことが必要です。「キリスト者は、患難前に引き上げられるので、患難時代を経験することがない」という説もありますが、果たしてそれが本当かどうかは、誰にも証明ができません。

ですから、もし患難時代を通過することになったとしても、動揺させられることがないために、今から天国を目指す信仰を養っておくことです。このことは私たちに、終わりの日の困難に耐え抜く力を与えてくれます。また、私たちが救いの確信を持って、最後まで信仰に立ち、主の再臨を迎えることを可能にしてくれます。

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