死後の復活に希望と目標を置いて生きることが重要である
- キリスト者は天国に国籍を持つ者である。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。エペソ2:19 - キリスト者はまだ見ていないものを待ち望む
その日には、天国に入れられる。主にお会いする。
私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。ローマ8;24,25 - この目標のために、キリスト者は今を聖く生きる。
私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。テトス2:12
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。コロサイ1:4,5
信者の復活は、キリストと同じようになる
- 「死人のよみがえり」はある。そうでなければ福音は偽りになる。
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです - キリストは、肉体をもって復活された。
- 弟子たちに、体をさわらせた。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」ルカ24:38 - 弟子の前で魚を食べた。
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。ルカ24:41-43 - 500人以上の弟子たちに同時に現れた。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。1コリント15:6 - 弟子たちに40日間現れ、彼らの見ている前で、天に昇っていかれた。
復活のイエスが40日間現れて弟子たちを教えた後、彼らの見ている前で天に昇られた。
使徒1:3-9 - キリストは確かに復活した。パウロの証言復活がしなかったのなら、私たちは偽証をしたことになる。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせな かったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。1コリント15:15
キリストは私たちの初穂として復活した。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。1コリント15:21-23
キリストは、死後復活の体に変えてくださる。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。ピリピ3:21 - 信者は死ぬことがない。イエスの証言
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」ヨハネ11:25
- 弟子たちに、体をさわらせた。
これは神の全能によって成される 神は約束したことを守られる
-
キリストは、審判の日に約束を果たして、私に報いてくださる。
私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、 また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。2テモテ1:12 -
キリストは審判の日に約束通り来られる。ご自身の権威を全世界に認めさせる。
その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたの です。――感嘆の的となられます。2テサロニケ1:10
霊と体が全く新しくされるのではない 今の霊と体をもって復活する
- 神が聖霊の宮とし、ご自分の肢体と呼んだ信者の肉体を、神が消滅させるとは考えられない。
- 信者の体はキリストの体の一部だと言われる。だから聖く保つ必要がある。
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に 許されません。1コリント6:5 - 行いを聖くするように。
あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。1ペテロ1:15
- 体を聖く保つように神は戒めている。
愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではあり ませんか。2コリント7:1
- 信者の体はキリストの体の一部だと言われる。だから聖く保つ必要がある。
神は信者の体を、ご自身の体の一部とみておられる。だから信者に聖くあるように戒める。このように神が配慮される信者の肉体を、神が天で存在させないはずはない。神は、今信者が持つ肉体をもって、信者を天国に住まわせるつもりだと思われる。しかし、信者の肉体はそのままでは罪のために汚れており入れない。天の性質を着せられて、汚れを全く聖められて入れられる。
- 死後、今の肉体が新しい性質を帯びることをパウロは証言している。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。1コリント15:53
- 死者が肉体を持っていることを示す聖句
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れ なさい。マタイ10:28このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。ヨハネ5:28,29
- キリストの復活は私たちの復活の型
- キリストの復活と私たちの復活は結び合っている。
ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。1コリント15:12 - キリストは、ご自身の体をもって復活すると預言した。
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」ヨハネ2:19 - キリストの復活のとき、聖徒たちの多くが墓から出てきた。
また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。マタイ27:52
- キリストの復活と私たちの復活は結び合っている。
肉体が違った性質をもって復活する
- 今持つ肉体をもって復活することを証明する聖句
- 死ぬべき肉体をよみがえらせる。
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなた がたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。ローマ8:11 - キリストの御力によって肉体がよみがえる。
神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。1コリント6:14
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。ヨハネ6:40 - キリストのあがないの効果は、霊だけでなく肉体にも及ぶ。
これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。ガラテヤ6:17 - 復活のキリストが持たれた体が与えらることを待ち望む。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。ピリピ3:21
- 死ぬべき肉体をよみがえらせる。
- 旧約の聖徒たちも、死後の復活を意識して自分の体の取り扱いを指示した。
- エジプトで死んだヤコブは、自分の体をアブラハムとともに葬るように指示した。創世記47:30
- 同じくエジプトで死んだヨセフは、エジプトを出るとき、自分の死体を共にイスラエルまで運んでほしいと頼んだ。
- 私たちの体は朽ちないものになってよみがえる。
また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。1コリント15:40-44 - 死と第2の生のはじまりとの間に、時間のへだたりはない。
- 死の瞬間に栄光の体に変えられる。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。1コリント15:51,52
- 「死」と「第2の生」との間に時のへだたりはない。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。1テサロニケ4:15
- 死の瞬間に栄光の体に変えられる。
信じた者も、信じなかった者もすべて復活して、神のさばきを受ける
- 神のさばきを受けるために、全ての者がよみがえる。(キリストのことば)
地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。ダニエル12:2このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。ヨハネ5:28,29 - 神なしの豊かさは、将来受ける神のさばきを重くする。
悪人がこの世で、はかりしれないほど多くの豊かさを与えらえれ、恵みを与えられる場合がある。
しかし、これは彼らのへのさばきを重くし、彼らに言い訳をさせないための神の取り扱いである。 - 死者が消滅して神のさばきを受けないのなら、それは軽すぎる刑罰である。
- 不信仰者に与えれられる一番重い刑罰は、神から完全に疎外されることである。
これこそ、一番恐ろしい刑罰である。