1 ダビデはサウルに命を狙われ、逃げた
エン・ティー エリムの岩の洞穴 24章
- サウルはダビデを追ってエリムの洞穴に入る。そこで用をたす。
- ダビデたちは洞穴の奥にいた。サウルを殺さず上着のすそを切って、でサウルに見せた。
- サウルは、「あなたは王になる」「私を殺さないでくれ」と言った。24:21,22
サウル一族のナバルがダビデをのろう 25章
- ナバル「おろか」、金持ち、欲深い男
ダビデはナバルの羊飼いたちを守ったので、食料をいくらかくださいと言った。 - ナバルはダビデをのろった。怒ったダビデは彼を殺そうとする。
- ナバルの妻アビがイルが食べ物を用意し、ダビデをなだめた。
1-1考察 ナバルから学ぶこと
1、ナバルは、収穫は自分のもの。自分のためだけに使うと考えた。
しかし収穫は、神からの賜物。神の民を助けるため、彼にゆだねられたもの。
彼は、ダビデに分け与えるべきであった。
ナバルは、収穫は自分のもの、自分のためだけに使うと考えた。
ダビデたちが羊を守ったから、豊かな収穫になったにもかかわらず、ダビデを助けなかった。
収穫は神から与えられたものである。そうであるなら、神の民に分け与えるべきものである。
しかし彼は、ダビデに与えることを拒んだ。
彼が、主の民を助けるという「責任」を果たさないなら、主も、彼に対する約束を果たさなくて良いことになり、彼は祝福を失うということを、ナバルはわからなかった。
彼の言葉は、このことをはっきりと現わしている。
「私のパンと私の水、それに羊の毛の刈り取りの祝いのためにほふったこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれやらなければならないのか。」1サム25:11
私たちも、自分に与えられているものは、神からの賜物であることを覚えよう。自分が楽しむためだけにそれらを用いることがないようにしよう。神の働きのために、神の民を助けるために、それらの賜物を用いよう。
2、ナバルは非常に富んでいた。そのために、かえって彼はケチになった。
貧しい人ほど、互いに分け合い、助け合う。金持ちほど与えたがらないものである。
もし、主から与えられ豊かになったなら、ナバルのようにならないようにしたいものである。
3、ナバルには、ダビデが主君から逃げ回る、不従順な家臣としか見えなかった。
ダビデが王になる時代が来ることを彼は予測できなかった。
主の霊が去ったサウル。彼の愚かな品性と奇行。
主の霊に満たされたダビデ。その品性や人々からの信頼、戦いに常勝する様子。
サムエルはダビデに油を注いだ。そして、サウルには会うことを止めていた。
これらの事実から、サウルの時代が終わり、ダビデが次の王になることは明らかであった。
彼の妻アビがイルは、正しく時代を読むことができた。彼女は、ダビデを怒らせることが、自分たちに不幸を招くことがわかった。
だから、ナバルがダビデに対して失礼な態度をとったとき、あわてて食べ物をダビデに持っていき、夫の行状の悪さを、ダビデにあやまったのである。
4,ナバルの命を主が終わらせた。彼が、主の御心を大いにそこね、
自分を誇り、自分の楽しみのためだけに生きたからである。
アビガイルが戻ると、ナバルは盛大な宴会を開いていた。彼は上機嫌でひどく酔っていた。
妻のアビがイルは、事の始終を明け方まで夫に何1つ話さなかった。
朝になって、彼の酔いがさめたとき、全てを告げると、ナバルは気を失い石のようになった。
「10日ほどたって、主がナバルを打たれたので、彼は死んだ。」1サム25:38
自分の豊かさにおごり高ぶり、自分のためだけに生きた人間の末路である。彼は主に打たれて死んだ。
2 ジフの荒野で サウルと最後に対面した 26章
- サウルは3千人の精鋭を連れ、ダビデを追ってきた。
- サウルたちは洞穴で寝ていた。(主が彼らに深い眠りを与えた)
- ダビデは殺すチャンスがあったが殺さなかった。反対側の峠を歩いて逃げた。
「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」
「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。
26:9,10
3 ペリシテ人の地に逃れる 王アガシュに信頼される 27章
- ダビデは、イスラエルの領土にいればいつか殺されると思った。
- ガテの王アキシュのところへ行く
アキシュはダビデをツィケラグに住まわせた。
ダビデは周辺を襲い戦利品をアガシュに与えた。アガシュはダビデを信用した。
4 サウル、ヨナタンの戦死 28章
- サウルはペリシテ人を戦った。(ペリシテ軍:シュネム、サウル軍ギルアデ)
- 戦いの前夜、サウルは変装してエンドルにいる女霊媒師に会いに行く。
サムエルの霊を呼び出し、彼の預言を聞く。自分の死を宣告され絶望する。 - サウルは戦死した。変装して出陣したが兵が何気なく放った矢に当たって死んだ。
- ダビデはペリシテ軍と共に出陣。ペリシテ人は彼を疑ったので、3日後に帰された。
帰ってみると、アマレクが来て町は焼かれ、妻や財産が奪われていた。追って取り返した。
4-1考察 死んだサムエルを呼び出さなければならないほど、追い詰められたサウル
不信仰者の悲惨な最後 1サム28:15,16
サウルはペリシテ人との戦いの前夜、エンドルに済む霊媒師を訪ね、サムエルを呼び出した。
主は、口寄せや霊媒を退けておられる。これは、主の戒めを破る行為。彼はこうでもしなければ、主のことばを聞くことができなかったのである。彼の不信仰がもたらした当然の結果だった。
サウルは告白した。「主は預言によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらない。」
サムエルは答えた。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。」
神が自分の敵になったと知らされることほど、恐ろしく、悲惨なことはない。
さらにサムエルは、戦いの敗戦と、サウル、彼の息子たちの死を預言した。
「サウルは突然倒れて棒のようになった。」1サム28:20
このように、主に罪を犯し続けた者の最後は悲惨である。
一番悲惨なことは、天国に入ることができないと定められることである。
4-2考察 サウルはダビデが手を下すことなく死んだ。
人の悪が頂点に達する時、主が彼を滅ぼされる。自分で手を下してはならない。
ダビデはサウルに手を下すことはなかった。サウルが主から油を注がれた人だったからだ。
しかし、ダビデはサウルの失脚を確信していた。サウルが病気か戦争で死ぬだろうと思っていた。その通り、サウルは人の手によらず、主の手によって滅ぼされた。
私たちも、クリスチャンの破滅を喜ぶ者たちが勢力を広げ、私たちを脅かすとき、
ダビデのように主に委ねるべきである。
主が解放してくださる時を待ち望み、自分で復讐しないことである。
彼らが主を恐れず、罪を犯して栄えるとき、彼らの破滅が近づいている。
主は、彼らが悔い改めないなら、ご自身が立ち上がり、彼らを滅ぼされる。
彼らを可哀想に思うべきである。彼らのために祈ろう。
4-3考察 人間は、神の摂理を超えて自由に生きることはできない(サウルとダビデのことから)
神は、サウルを退け、ダビデを次の王にすることを決めておられた。
神の計画を人間は変えることはできない。サウルとダビデの生涯がそれを証明している。
サウルは、ダビデを殺す寸前までいったが、いつも失敗させられた。
ダビデは、サウルを殺す機会があったが殺さなかった。
ところが、サウルはダビデが手をくださなくとも、敵の手によって殺された。
このように、人間はどのように巧みな計画を練ったとしても、神の計画を変えることはできない。
自分の願いは、神の計画といつも一致するとは限らない。
祈りと強い信仰で、神の計画を変えることができると信じるクリスチャンたちがいる。
しかし、自分の願いを神の計画よりも優先してはならない。
サウルのように失敗するから。疲れ果て、精神に異常を来し、破滅するからである。
そうではなくて、まず自分に対する神の計画を知ろう。
そして神の御心にそって生きよう。これが一番幸せで、安全だと思う。
4-4考察 主があらかじめ計画された事が人生に起きる。(摂理)これを知るメリットは何か。
「この世に偶然はない、すべて神が計画されたことが起きる」これが摂理である。
このことを知ることは、信者にとって絶大な益がある。
摂理を知ることによって、私たちは出来事を、神の意志を通して見るようになるからである。
そして、その出来事が自分に送られた理由や目的を知るようになる。
たとえ、理由がわからなくても、信者は主の善意を信じることができる。
最後には、主は私に対する幸いな計画を明らかにして、私を喜ばせてくださる。こう信じる。
なぜなら、主は私に救いを与えるために、ご自身が死なれるほど、私のために配慮していてくださる方だからである。
もし、このように驚くべき愛をもって私を愛する方が、私に苦しみが与えるのであれば、その苦しみは私に益をもたらすものであるはずである。また主は、その苦しみに耐えることができるように配慮してくださるはずである。脱出の道も備えていてくださるはずだからである。
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるよう なことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。1コリント10:13)
4-5考察 アマレクの分捕り者を公平にわけたダビデの知恵
サウルと戦うために、3日間ツィケラグを離れたとき、アマレクが攻めてきて、彼の妻、子供、羊などを奪っていった。戦闘に参加することがゆるされずに、戻ったダビデはこのことを知る。
彼はアマレクを追った。彼らが奪ったものを取り返し、さらにアマレクからもたくさんの分取りものを取った。彼は、分捕りものを、最後まで戦った者たちだけでなく、途中ベソル川にとどまり、彼の持ち物を見張った者たちとも公平に分けた。彼の荷物を守ることも、戦いの勝利に大いに貢献したからである。これは大将としてすぐれた判断だと思う。
また、彼はユダの長老たちにも分捕りものを送った。これは大変高価な贈り物であったろう。
送り先は、自分がさまよい歩いた町々であった。彼は、自分を助けてくれた人たちに恩返しをしたのだ。1サム30:26~31
彼の感謝を忘れない暖かい人柄を知ることができる。また、このことはユダの人々の心を彼に引きつけ、王として迎え入れさせるために大変役に立ったと思われる。