バイブルスタディメッセージ(はじめての人向け)
アブラハムの生涯から学べること
1、アブラハムが信じた神(主)、その方のことばは実現した。
妻が不妊の女であり、サラもアブラハムも高齢であったにもかかわらず、2人の間に男の子が生まれると、神は約束された。そして、アブラハムの子孫は星の数ほどになると言われた。
すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がな ければならない。」 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫 はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。この約束は下記のように実現した。
創15:4,5 この言葉は下記のように実現した。
①100才になるアブラハムにイサクが生まれた。
②イサク誕生後、もう1人の妻ケトラとの間に多くの子供達が生まれた。
彼らはアラブ地方の諸民族になった。
③アブラハムが拝んだ神と同じ神を信仰する人々、アブラハムの信仰の子孫たち、キリストを神と信じる人たちが、全時代、全世界に増え広がった。
この神は、聖書を書かれた神。だから聖書のことばも必ず実現する。
2、主に従って生きるためには、人の声ではなく、主の声に従うことが必要である。
アブラハムは、住み慣れた故郷を離れ、親族とも分れ、見たこともないカナンに向けて出発した。彼を知る人は、大都会のウルにいればいいのに、なぜカナンのような田舎に行くのかと、彼をとめたかもしれない。しかし、家族や友人が理解できなくても、彼は神の命令に従うことを選んだ。なぜなら、神が導いてくださることほど確かなことはないからだ。
3、アブラハムが信じた神は、彼を最後まで守られた。主を信じる者を、主は守られる。
アブラハムも私たちと同じ人間で完全に正しい人ではありません。何度か、過ちを犯しました。エジプト、ゲラルに滞在していた時、その土地の人々が自分に良くしてくれるために、妻を王にさしだしました。しかし、その度に、エジプトの王パロは災害に逢い、ゲラルの王アビメレクは子供が生まれなくなり、彼らは高価な贈り物とともにサラをアブラハムに返しました。これは、アブラハムが限度を超えて誤った道に進むことがないようにと、神が彼のしたことを失敗させてくださったからでした。
このように、主を信じる者は、主が守られることを、私たちは見ることができます。私たちも、酒を信じて従っていくとき、主が私たちを守ってくださいます。アブラハムは、自分が不完全だから、神は祈りを聞いてくださらないとは考えませんでした。神に助けられるたび、彼は神に感謝しています。ですから、失敗しない人、完全な人が神に近づけるのではありません。そうであれば、一生かかっても無理でしょう。
そうではなくて、不完全で欠点の多いありのままの自分で主に近づくのです。なぜなら。主が、誤った道を選ぶ自分を、正しい道に導いてくださり、不完全な自分を成長させてくださるからです。
アブラハムの生涯一覧表
(大人向け)
<アブラハムの生涯から学んだこと>
1、不可能としか思えなくても、主の約束を信じることが「信仰」である。
アブラハムにとって信じがたい主の約束は、「彼に子供ができる」ということでした。彼の妻は、不妊の女で、彼らは共に高齢でした。そのような彼らに対して「子供ができる」と主は約束されたのです。それだけではなく、星の数ほどの子孫ができると主は約束されました。
「ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫 はこのようになる。彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」創世15:4-6
しかし、彼は主の約束の実現を信じました。その信仰を主は、義と認められました。つまり、天国に入れるにふさわしい信仰だと認められたのです。私たちも、不可能と思える聖書の約束が実現すると信じる、これが主に義とみなされる信仰です。これが救いに至る信仰です。
2、主の言葉は必ず実現する
①主の約束どおり、サラとの間に男の子が生まれました。
アブラハム100才、サラ90才の時でした。主は人間の可能性がゼロになった時、ご自身の奇跡によって約束を成就なさいます。そして、全てをご自身が支配しておられること、人間は主の前に無力であることを私たちに教えられます。
②アブラハムに信仰の子孫たちが星の数ほど与えられました。
アブラハムを信仰の父と仰ぐ人々は、彼の死後、全世界に増え広がっていきました。キリストを神と信じるクリスチャンたちです。現在、約2億人ほどで今も増え続けています。
質問:あなたにとって、まだ実現していない神の約束とは何ですか?
3、主は、将来について教えてくれない。
この先どうなるかわからなくても、主に信頼し、今与えられている主の命令を実行することを、主は求められる。
主はアブラハムにウルを離れるように言われました。ウルは大都市で生活は快適であったと思われます。しかし、ウルは偶像礼拝の強い都市でした。そこで、主は、彼を偶像を拝む町の友人知人、親族から分離されました。
アブラハムは、遠く、行ったこともないカナンに旅立ちました。すべては、主が彼にそうするように命じられたからでした。彼は、主が全てを備えてくださることを信じて、行き先について、何も知らずに旅立ったのです。
私たちも、主を信じるとき、同様のことが起こります。ある人は、クリスチャンになってから、仕事を変わるかもしれません。その仕事は今までの給料より低い仕事かもしれません。また、ある人は今までなら選ばなかったような人と結婚するかもしれません。
これらは、この世の基準で判断したときは、よろしくない変化です。しかし信者は、これが道だ。これに歩めとの神の言葉を聞いているのです。そこには平安があります。そして、この道が一番安全な道なのです。なぜならアブラハムを導かれたように、主が彼らを最後まで導いてくださるからです。
質問: 先のことがわからない状態で、主の御声に従って行動したことはありますか?
4、主は、ご自分に従う者を選ばれる。そして選んだ者を最後まで守る。
① 救いに選ばれていない人は不信仰になっていく(アブラハムとの旅を止める)
◎テラ 大きな町ハランを気に入って住み着いた。約束の地まで行かなかった。
◎ロト ソドムに住んだ。ソドムの町の滅亡の時、神の憐れみによって命を助けられたが、娘たちと近親相姦して子をもうけた。(モアブ/アモン)この子らは、イスラエルに敵対する民族、偶像礼拝者になった。(ケモシュ)
② 選ばれた人も、過ちを犯し不信仰になる時がある。しかし、神はその度に、特別な方法で彼らを正しい道に引き戻している。
◎アブラハム エジプトで、ネゲブで妻を妹と偽り、彼らに差し出す。
彼が妻をさしだしたので、エジプトの王パロは災害に逢う。ネゲブの王アビメレクは女たちが子を産まなくなる。それで、彼らは大急ぎで、しかも贈り物を添えて、サラをアブラハムの元に返した。このため、アブラハムは非常に富むようになり、さらにネゲブ住む許可をも与えられた。
これらのことから、人に信仰の歩みを続けさせているのは、人間の側の信仰や努力ではなく、神の選びと選ばれた者への神の働きによることがわかる。
質問: あなたがたが信仰的に対処できず失敗したことはありますか?
神が、主の道をはずれたあなたを引き戻してくれた経験はありますか?
5、主は、信じる人が、自分を一番大事とすることを求める。
主は、アブラハムの心を知るために、彼に試練を与えました。
主は、100歳にしてやっと授かったイサクを「主にささげよ」と言われました。
アブラハムは、翌朝早く、捧げ物をするための道具を全て持って、主が指示された山に登りました。その道具には、イサクを殺すための刀、イサクを殺した後に焼くための火とたきぎを持って行ったのです。
パウロはアブラハムは主がイサクを殺しても生き返ると信じたと書かれています。おそらく彼は、主の善意を疑わなかったのでしょう。きっとこの命令は、イサクの死で終わるものではない。このことを通して主が何か良いことをもたらされるはずだと、彼は信じたに違いありません。だからこそ、主の命令に対して、イサクの命乞いもせず、即実行に移すことができたのでしょう。
彼は、本当にイサクを殺そうとしました。主は彼が、1人子をも自分の命令のためにはおしまない、彼の信仰を見て満足されました。そして、アブラハムに自分の子を殺してはならないと命令されました。そして神は、イサクの代わりに捧げるいけにえとして、やぶに1角をひっかけている1頭の雄羊を用意してくださいました。
主は、私たちの心が主を第一とすることを求めておられます。
アブラハムの生涯一覧表
1 故郷を離れ神が約束した地に向かう(75歳) 12章 | 2 エジプトでの失敗 12章 |
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3 ロトと離れる 13章 | 4 ロトの救出 14章 |
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5 主は再び約束する 子孫についての預言 15章 | 6 約束の実現を待てず女奴隷との間で子をもうけた 16章 |
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7 3人の人の訪問 サラの出産、ソドム滅亡の預言 17、18章 | 8 ソドムの滅亡 ロト一族のその後 19章 |
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9 ネゲブで再び失敗する 20章 | 10 サラに「イサク」が生まれた 21章 |
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11 アブラハムへの試練「イサク」をささげよ 22章 | 12 サラの死、そばめケトラとの子供達 23~25章 |
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まとめ(はじめての人) | まとめ(信者向け) |
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アブラハムの生涯についての疑問(ちょっとディープな話題)
1、主はなぜアブラハムにウルの地を出よと仰せられたのか?
アブラハムを愚像の地から分離するために、主はカナンに行くように言ったと言われています。しかし、偶像から離れるためであれば、行き先のカナンも偶像礼拝が盛んな地です。ではなぜ、神はウルを出るように言われたのでしょうか?
それは、アブラハムを、偶像礼拝がさかんな地から遠ざけるためではなく、偶像を拝む親しい人たちから彼を分離するためでした。
異教を拝む親類や友人と交わりながら、彼らと違う信仰を守り通すことは大変なことです。それよりも、彼らから離れて、新しい地に住む方が、信仰がしやすいでしょう。なぜなら、たとえその地にも偶像があったとしても、よそから来た人の信仰ですから、その土地の人で、自分たちと信仰が違うと言って非難する人はいないでしょう。それは、主の命令であれば、それが馬鹿げたことに思えても、その先に何が起こるかわからなくても、主の善意を信じて実行することが「信仰」であることを学ばせるためではないでしょうか。これは、私たちの模範となる、信仰においての神への姿勢です。アブラハムから私たちは信仰の「型」を学ぶことができます。
2、アブラハムを祝福した王は、人間か神か?エルサレムをの王で神の祭司であった人か?それともキリストか?
私は、キリストがシャレムの王と名乗って、アブラハムに現れたのだと思います。
「シャレム」は平和、またはエルサレムをさす。「シャレムの王」は平和の王、またはエルサレムの王と言えます。
もし、「シャレム」を「エルサレム」と理解するならば、エルサレムを統治する王で、天地創造の神を礼拝する祭司の役割をも務めた人物ということになります。
また、「シャレム」を「平和の王」と理解するならば、主が肉体をまとってアブラハムに現れたことになります。
このシャレムの王は「神」について「いと高き神 the highest God」と言っており「主 Lord」と言っていません。彼は、主を知っているが、その知識は限定的なものだったのだという説があります。しかし、いと高き神であるthe highest God はどの神よりも偉い神という意味ですから、天地を造られた主なる神のご性質を適切に表現した言葉だとも言えます。
アブラハムは、彼から祝福を受け、彼に戦利品の10分の1を捧げています。つまり、アブラハムは彼を良く知っており、彼の祭司としての権威を十分に認めているということです。しかし、メルキゼデクとアブラハムが知り合いであったという記事は聖書にはありません。聖書に書かれていないが、彼らは知り合いであったのでしょうか。
もし、シャレムの王が主であったとしたら、主はアブラハムに何度か現れていますから、突然の出会いであっても、アブラハムには誰であるかはすぐにわかったはずです。そして彼から祝福を受け、彼にささげものをしたことは理解できます。
また、メルキゼデクが「ぶどう酒」と「パン」を持ってきたことは、キリストが弟子達に守るように言い残された「正餐式」を思い起こさせます。
ダビデは、詩編で救い主のことを「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である」と言いました。
イザヤは、救い主キリストを「平和の君」と呼ばれるといっています。イザヤ9:6
パウロは、メルキゼデクについてヘブル書の中で次のように説明しています。
イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。6:20
まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次にサレムの王、すなわち平和の王です。7:3
父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。7:4
父も母もなく、系図もなく、永遠に祭司の務めにとどまることができる存在は、キリストしかいません。おそらく、キリストがシャレムの王と名乗って現れたのでしょう。この説は大変有力だと思います。このことの真相については、私たちが天に召されたとき、主に直接聞くことにしましょう。
3、なぜ、主は直前までサラが子孫を産むとは言わなかったのか。
主は、何度も彼に多くの子孫が生まれると告げられました。しかし、誰が産むとは言われませんでした。そしてイサクの誕生の直前になって初めて、サラが産むと言われました。もっと早くに言ってくれたら、ハガルと子を造ることもなかったし、ハガルとお争いもなかったのです。おそらく主は、アブラハムの信仰を試されたのでしょう。サラは不妊の女でした。しかし、彼女は正妻です。父の相続権を持つ者は、正妻の長子です。ですから、アブラハムもサラとの間にできる子供を待つように主が言われているとは、うすうす理解していたと思います。ところが、いつまで経ったも子供ができないので、ついサラの申し出を受け入れてしまったのでしょう。きっと主は、そばめであっても自分との間にできる子であれば問題ないのだと、自分の都合の良いように主の命令を適応したのでしょう。その結果、イシュマエルのことで彼は心を痛めることになります。主の約束の実現が遅れ、実現しないように思われても、やはりじっと耐えて待つことの大切さを学ばされます。
4、なぜロトは逃れた町ツォアルに住むことを恐れて、山に住んだのか?
神に滅ぼされた悪の町、ソドムから逃げてきたロトたちを、ツォアルの人たちは拒絶した思います。おまえたちがここに住めば、「ツォアルの町もソドムのように滅ぼされてしまう。ここから出て行け」とののしられ、殺そうと思う人もいたのでしょう。だから、御使いは、彼らが逃げるとき「山に逃げなさい」と言ったのです。娘達が、「この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません」と言っていることも、このことを立しています。彼らが住んだ地には、ロトの娘を嫁にする男性はいなかったのでしょう。また将来現れる可能性はゼロだったのでしょう。それで、彼女たちは父と寝て子孫を造るしかなかったのです。
5、なぜ、娘達はロトと寝て子供を産んだのか?
ロトの娘たちは、今いる場所から遠くに移り住めば、夫を見つけることもできたのではないでしょうか。
しかし、ソドムの滅亡は、イスラエルの民の間で知らぬ者がないほどの大事件だったので、ロトの娘と聞けば、
イスラエルには結婚する男性はいなかったのでしょう。それで彼女達は、他の地で婿を探すことを最初からあきらめたのでしょう。
しかし、父と交わることはロトも反対であったし、彼女たちにも後ろめたさがあったと思われます。
だから彼女達は父を酔わせて、相手が誰かわからないように娼婦に変装したりして、交わったのだと思われます。
5、アブラムからアブラハム サライからサラに名前が変わったのはなぜ?
アブラムは「父は高い」生まれの良さを表す名前。アブラハムは「多くの国民の父」という意味。
主は、イサクが誕生するにあたって、アブラムからアブラハムに名前を変えられました。その通り、彼の子孫は増え広がりアブラハムは多くの民の父になりました。
サラは「王女」という意味。イサクが誕生し、夫がアブラハムとなり、多くの国民の父となったので、彼女の名前も高貴なものにグレードアップされたのでしょう。
6、アブラハムがそばめケトラを持ったのはいつ?
第1歴代誌1:32に、「そばめケトラ」と書かれているので、おそらくサラが存命中に持ったことは確実です。イサクが誕生する以前ではないはず。なぜなら、そばめハガルとの間に生じた問題から、約束の子が生まれる前にそばめとの間で子をもうけることは、しない方が良いと学習しているからです。そうなるとイサクの誕生後ということになります。イサクが誕生するにあたって、アブラハムは奇跡的に若返り、子を産ませる力が戻ったのではないでしょうか。約束の子が誕生したので、そばめを持っても問題がなくなったのではないかと思われます。