<アダムとエバに、カインとアベルが生まれた。>
1、全ての人には、生まれつき罪の性質が宿っている
人は、その妻エバを知った。(創世記4:1)
罪が入り楽園を去ってから、アダムとエバは性的関係を持ち、子供が生まれた。
彼らから人類が増え広がった。だから、この世の全ての人に、生まれつき罪の性質が宿っている。
2、神は、罪人が地上に増え広がることをゆるされた。このことにエバは驚いた。
彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。(創世記4:1:)
自分が犯した罪のためにエデンの園を追われ、人生が一変してしまった。
楽園での暮らしが、過酷な労働を強いられる暮らしへと激変してしまった。彼らの後悔は非常に大きかったであろうと想像する。しかし、もはや以前の状態に戻ることはできない。主は、自分たち罪人がこの世界に増え広がることを望まれていないと思われた。ところが、エバに男の子が生まれた。彼らは驚いたであろう。主が、罪の引き金となったエバから子が生まれることを、良しとされたからである。エバは、主が、ご自身に反抗した自分たちに対して、あわれみを持ってくださっていることを確信して、大いに喜んだはずである。
<カインとアベルは主にささげものをした>
1、主はささげものをする人の心を見られる。(心から主を敬う者を主は愛される)
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。(創世記4:3-5)
ささげ物は、ささげた人の信仰の表現。だから、どのようなささげ物をするかで、ささげる人の信仰がわかる。アベルは良く吟味して、最良のものを選んで主にささげた。しかし、カインはそれほどの注意を払わず、収穫した物の中からささげた。
「主がささげ物に目を留める」とは、ささげた人の信仰を喜んで、その人を保護し、その人の祈りを聞くということ。だから、神が、アベルのささげ物だけに目を留めたということは、アベルは神に認められ、カインは拒絶されたことを意味する。このことから、神はご自分に心から敬意を払う者に恵みを施されることがわかる。
2、カインは、悔い改めることなく、アベルに殺意を抱いた。
カインは弟が神に受け入れられ、自分が拒絶されたことを知って怒った。怒っただけではなく、殺意を持った。神に愛される弟をねたんで殺そうと思った。自分の失敗を反省してやり直そうとするのではなく、弟がいなくなれば、神の愛を自分が1人に向けることができると考えた。
3、カインは、ささげものについて正しい方法を知っていながら、適当に行った
あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4:7)
カインは、ささげ物について正しく行っていなかった。正しい方法は、神から教えられていた。ところが、彼はそれを知りながら適当に行ったので、神は彼のご自身を敬わない態度を見て、彼のささげ物を受け入れなかったのである。さらに、神は、彼がアベルを殺そうとしていることをご存じであった。そして、止めるようにと戒めている。「あなたは、それを治めるべきである」
4、カインは主に返事をすることなく、即座に殺意を実行した
カインは神の戒めに対して、返事をすることもなく、考え直すこともなく、殺意を実行した。
しかも、自分の罪が知られることがないように、野にアベルを誘って殺した。
5、主は、罪を犯したカインに、悔い改めて信仰を回復する機会を与えた
主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。(創世記4:9)
主は、カインが犯した罪を告白して、主にゆるしを願う機会を与えられた。そのため、主はアベルが死んだことをご存じの上で、上の質問をカインに投げかけられた。
6、しかしカインは悔い改めず、自分の罪を隠した
主に罪を告白する機会を与えられたが、カインはウソをついて自分の罪を隠した。
7、悔い改めないカインに対して、主はさばきを宣告される
(悔い改めないことがはっきりした時、神は刑罰を下される。)
罪を犯しても、悔い改めない者に、神は刑罰を下される。カインの場合は、仕事をできなくすることであった。彼は土を耕して作物を作っていたが、彼が耕作しても収穫ができないようにされた。そこで、彼は土をさすらう者になった。
8、カインに対して主は驚くべきあわれみを与えられた
(罪人に対して与えられる神の驚くべきあわれみを見る)
ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私 に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」(創世記4:14)
このカインの叫びは、自分の犯した罪を後悔して嘆いているのではなく、自分に与えられた刑罰の重さに不満を言い表しているだけである。それにもかかわらず、主は彼をあわれみ、彼が殺されないようにしてくださった。ここに、罪人に対する、主の驚くべき忍耐とあわれみを見ることが出来る。
このことは、罪人である私たちにとって、主が私たちに対しても、あわれみ深くあってくださると励ましを受けるため、私たちにとって大きな慰めとなる。主は、ご自身を信じない多くの人を生かし、彼らに必要なものを与えておられる。私たちは、このことを自分が努力した功績だと考えている。しかし、本当は、主の憐れみによって与えられているのである。自分は主を敬わず、主に感謝もしない、怒りの器であるにもかかわらず、主は、私を滅ぼすことを忍びないと思われ、このように生かされ祝福されていることを忘れてはいけない。
<カインの末裔 子孫たち>
1、罪が増大していく家系
レメクは2人の妻を持った(創世記4:19)
これは創世記2:24「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」に違反する。
2、彼らは、悔い改めないまま、神から独立して歩むが、この世で成功していく
(神を離れた文明社会の繁栄=現代の私たちの世界)
レメクの子たちは、農業ではなく、金を稼ぐことができる技術を身につけて、この世で成功していった。ユバルは竪琴、笛を演奏する者、ヤバルは家畜を飼う者、トバル・カインは青銅や鉄で道具を造る鍛冶屋になった。
3、自己への誇りの増大 神を軽視する
私の受けた傷のためには、ひとりの人 を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。(創世記4:23-24)
自分がいくらか負傷した程度でも、相手を生かしておかない、限度を超えた復讐。
主は、カインへの攻撃のために7倍の復讐を、彼に約束した。
レメクへの攻撃には、神によらず、その10倍の復讐をすると、レメクは誓った。
<アダムとエバに新たに子供が与えられた>
1、アダムとエバに、新しく子が与えられた。
アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」(創世記4:25)
悲しみの中で、神を遠くに感じていたアダムとエバ。与えられた子を、神からの賜物として彼らは育てたと思われる。「授けられた」と言っているところからわかる。そして、「セツ」の子孫が、救いを継承する家系となった。
2、人間は弱さを自覚した
セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。(創世記4:26)
「セツ」はヘブル語で「置く」「備える」と言う意味。アベルとカイン亡き後、アダムに備えられた子という意味であろう。
「エノシュ」はヘブル語で「人」という意味。この名から、己の弱さを自覚している様子がうかがえる。
3、人は神に対して祈ることをはじめた
そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。(創世記4:26)
彼らは、弱さの自覚の中で主に祈った。主に助けを呼び求めた。自らの弱さをそのまま表す名を持つ人「エノシュ」が、その真実をそのまま表す名持つ神「ヤハウェ」の名によって祈った祈りであった。それは、人の弱さをあわれんでくださる方である主に祈る祈りであった。
<注>
カインが動物をささげなかったから、主は受け取らなかったのではない。
彼が、作物の中の「最良の物」をささげなかったから、主は受け取らなかったのだ。
もし、動物のささげものだけに、主が目を留められるのであれば、カインは不利であった。なぜなら、彼は作物を作る人だったからである。家畜を飼い、耕作をすることは、エデンの園を追い出されて以降、アダムが始めたものであったろうと思われる。それを2人が分担していたのであろう。それぞれの働きは不可欠であって、主は両方の働きを認めておられた。そして、それぞれが働いて得た「最良の物」を、ご自分にささげるように、神は望まれた。
だから、神がカインのささげ物を受け取らなかったのは、彼が羊をささげなかったからではない。彼が収穫した作物の中の「最良の物」を選んで、主にささげなかったからである。