初歩の教えを終えて、成熟を目ざそう
6:1 ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、
6:2 きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。
6:3 神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。
私たちは、基礎的な教理に同意して信じることができていなければなりません。その上で初めて、信仰の次の段階に進むことができるからです。
では、基礎的な教えとはどのようなものでしょうか。
1.私たちの行いは神の目には死んだものであること。
つまり、神を満足させることができないために刑罰を受けるべきものであること。(原罪)
2.キリストは復活された。キリスト者も死後に復活する(復活)
3.死後に、キリストを信じない者は永遠にさばかれること(死後のさばき)
これらは「初歩的な教え」だと言われます。しかし聖書から導き出されるこれらの教えに同意できないで、自分が理解できる教えの範囲で信仰するクリスチャンがたくさんいます。そのような人に、信仰の成長は期待できません。私たちは、基本的な教理については、同意した上で、成熟を目指して進もうではありませんか。
背教するようになってはいけない
6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
6:7 土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。
6:8 しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。
ここで言われている人は、一度信じたけれども、キリストへの信仰を捨てた、否定するようになった人のことです。そのような者を、もう一度回心させることは難しいと言われています。
クリスチャンは御霊をいただいています。そして内住の御霊が生活の上に神に喜ばれる良い実を結ばせます。
しかし、途中で信仰を捨てる人たちは、初めから御霊を受けていませんでした。
彼らは、信仰を告白し、教会に集って喜んでいましたが、実は救われていなかったのです。御霊を持たない彼らは、人格や生活の上に良くない実を実らせます。これは当然の結果です。彼らは未信者と同様に、最後には滅ぼされてしまいます。
最後まで、堅く信仰に立ち続けよ
6:9 だが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。
6:10 神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。
6:11 そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。
前節で、背教するようなことにならないようにと、パウロは忠告しました。
しかし、この手紙の受け取り手である「へブル人たち」については、彼らが最後まで信仰の確信を保ち、救われることをパウロは確信しています。
パウロは彼らを励まします。神は正しい方で、信者が神の御名があがめられるためにした行いを忘れることなく、報いてくださると教えます。クリスチャンは、自分たちに対して真実に報いてくださる神への応答として、最後まで熱心さを保ち、信仰の確信を持ち続けようではないかと、パウロは、へブル人クリスチャンたちに希望しています。
旧約の聖徒たちと同様に、
忍耐の後に神の約束を受け取りなさい
6:12 それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。
6:13 神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、
6:14 こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」
6:15 こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。
旧約の聖徒たちも、神の約束の実現を信じ、忍耐の末に約束のものを相続しました。
アブラハムに対しての約束について、それが確かであることを、神はご自身をさして誓われました。
長い忍耐の末に約束の子イサクが与えられました。また、神が誓われた通り、アブラハムの子孫(霊的)は星の数のように増えました。神の約束は成就したのです。
私たちも旧約の聖徒たちと同様に、迫害や困難に耐えて後、神が約束してくださった天国を相続することになるのです。
神の約束は不変。私たちの望みは確かである。
6:16 確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。
6:17 そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。
6:18 それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。
6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
6:20 イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
神は、ご自身をさして誓い、約束されました。この「ご自分に誓った」ことと、「ご自分が約束した」という2つのことがあるために、神は私たちに与えた約束を変えることができないのです。
ですから、「神がこの世に遣わした御子イエス」が信者に対して約束された、罪の赦しと永遠の命を与える約束は変わることがありません。
天国を相続できる約束は、私たちを大いに励ましてくれます。
この約束は、信仰の戦いに疲れる時、困難を忍耐する時、意気消沈する時、私たちの心に希望を与え、信仰に堅く立ち続けさせる錨の役割を果たしてくれます。
キリストは、十字架刑で死んで復活され、私たちより先に天の聖所に入り、メルキゼデクに等しい、永遠に仕える祭司となられました。そして、今も、私たちの罪のために、神にとりなしをしていてくだっています。
これほどの確かな保証があるのですから、私たちはキリストによって与えられた約束(天国に入る)を最後まで持ち続け、困難に打ち負かされないようにしようではありませんか。
<考察 へブル人への手紙6章>
考察1 一時的に信じる人、信仰を捨てる人はある
しかし、本当に救われた人は信仰を最後まで保つ
6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
教会には、救われた人と、まだ救われていない人の2種類の人が存在します。
ここで語られている人、つまり堕落して信仰を否定する人は、教会には集っていたけれども、実は救われていなかった人たちのことです。
なぜなら、信仰は神からのギフトであるため、救われた人の信仰は最後まで保たれるからです。神がその人の信仰を保持させるからです。
私は、キリストを信じて、ある期間、喜んでいた、熱心に奉仕していた人が、信仰を捨てるケースを知っています。
そのような人の中には、信仰を止めるだけではなく、キリスト信仰に反対するようになる人もいます。また、他の宗教を信じたり、何らかの思想に影響を受けて、キリスト信仰を否定するようになる人もいます。
本当に救われた人は、永遠に救われています。だからと言って、自由気ままに生きていいということではありません。救われた人は完全ではありませんが、内住の聖霊に導かれ、神に喜ばれる歩みをしたいと心から願っています。
このような人が、堕落して信仰を捨てることはありえないことです。
新約聖書の圧倒的に多くの箇所は、救いは永遠であることを教えています。
これを神学用語で「永遠の保証」、「聖徒の堅忍」、「聖徒の保護」などと言います。参照聖句としては、ヨハネの福音書10:29、ローマ人への手紙4:21、8:31、38~39、14:4、エペソ人への手紙1:19~21、3:20、ピリピ人への手紙3:21、ヘブル人への手紙7:25などが上げられます(以上は、ほんの一例です)。
ですから、この聖書個所から、「救いの保証」を否定することは間違いです。
考察2 クリスチャンは困難な時にこそ、天国に入る約束を思い出して喜ぼう。前進しよう。
6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
6:20 イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
信仰の旅路の途中には、困難な時があります。
そのような時、私たちの心は意気消沈します。
「神はこの出来事、この人を見過ごしておられるのか」「神は私を見捨てられたのか」と、神への信頼を失う思いが起来てしまいます。
しかし、このような時にこそ、自分に与えられた約束(天国で永遠に生きる約束)を思い返すことが重要です。
なぜなら、この約束は希望ではなく、将来、確実に起こることだからです。
神の約束を思い返すことは、私たちの心に平安と安心を与えてくれます。そして、将来をも確実に守ってくださる神を信頼して、今の困難を耐え抜き、前進する気持ちを与えてくれます。