ヤコブ書1章「試練の時にある、神の助け」

信仰のための試練を喜びなさい

1:1 神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。
1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

信仰の試練は、忍耐を生じさせる。 その忍耐を働かせなさい。
信仰から来る試練を喜びなさいとヤコブは言います。
なぜなら、信仰がためされるとき、信者に忍耐が生じるからだと言うのです。
「忍耐」とは、ギリシャ語原語でヒュポモネーで、じっと耐える消極的なものではなく、
困難の中にあっても逃げ出さず、神に信頼し続けて、信仰を守り通す姿勢を意味します。

ですから、信者は、試練がきたとき、「なぜ自分にこんなことが起きるのか」と言って、神をのろうことはしません。
そうではなくて、神が試練を通して、自分に忍耐を生じさせてくださるのだと信者はしっているのです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、神のみこころの通りに、信者は霊的に成長します。

だから、ヤコブは、信者に対して、試練に合うときは、それをこの上もない喜びだと思いなさいと言っているのです。
ここで重要なことは、忍耐を生じさせるのは神であるという真理です。
信者が、自分の中から忍耐を生み出し、がんばって試練に耐え抜くのではありません。
神が試練を送り、信者の内に、忍耐(最後まで信じ続ける力)を生じさせるのです。
そして、私たちは、神からの忍耐を十分に働かせて、困難に立ち向かうのです。
神の側から与えられる力と、それを受けた信者の実践が合わさって、困難の中にありながらも、悪に打ち負かされない信仰が発揮されるのです。
これは、なんという幸いでしょうか。

確信を持って神に求めなさい

1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
1:7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
1:8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

困難な時は、神に知恵を求めなさい
「知恵」とは、ギリシャ語で「フィリア」です。
単なる「頭の良さ」や「学問的な知識」のことではなく、「神の御心に従って正しく生きるための実践的な判断力・洞察力」の意味です。

クリスチャンは、信仰から生じる試練に直面して、「なぜこのようなことが自分に起きるのか」「どのようにしてこの状況を乗り越えたらいいのか」わからなくなる時があります。
そのような時こそ、神に「人生の正しい洞察」を求めて祈ることが重要です。
この祈りは、試練の意味を、神の御心から悟るための祈りです。
その際、自分の願いを脇に置いて、神のご意思を第一に求め、それに従う心を持っていなければ、神からの「知恵」を正しく受け取ることははできません。

幸いなことに、神に服従して祈る人には、神が試練の意味を教えてくださる。
どのように理解して乗り越えればいいのかを、神が信者に知らせてくださるというのです。
ただし、神を完全に信頼しない心で祈る者は、このような「神からの正しい人生の洞察」は与えられません。

貧しさや困難に耐える信者は、最後まで耐え抜きなさい
あなた方の天での報いは、大きいから

1:9 貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。
1:10 富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。
1:11 太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて 行くのです。
1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

財産の有無は取るに足らないこと。人の成功は、いつかは消えてなくなる。
しかし信者は、永遠に続く宝を持っていることを忘れてはならない。
信者は、自分が貧しい境遇にあるからと、卑下をする必要はありません。

また、財産が与えられて、高い地位にいるからと、自分を誇る必要もありません。
財産や、地位は、築くことは大変で、また、保持することに苦労するものです。
さらに、その人が死ぬときには、手放さざる負えないものです。
しかし、信者には、どのような立場の人も、永遠に続く天国の資産を受け継ぐ者とされています。
この恵みの価値を、この世の繁栄よりも、ずつと価値あるものとして認めなければなりません。
そのような価値観で生きることが、クリスチャンです。

ですから、クリスチャンは、未信者が財産を持ち、権威をもっていても、うらやましいとは思いません。彼らの資産や権威は、一時的なものであると知っているからです。
そして、自分に与えらえた、おどろくべき恵みに感謝して、自分に与えられた状況が困難なものであっても、その状況の中で自分に与えられた使命を果たし、忍耐し続けることができるのです。

神は人を誘惑しない 自分の欲望が誘惑を引き寄せるのです

1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありま せん。
1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

神は信者を誘惑していない。自分の欲望が、誘惑を引きよせているのだ。
信仰者は、信者になってからも、完全にされたわけではなく、内に罪を秘めています。
自分の内にある「罪の思い」が、さまざまな欲望を生みだし、罪の行いを引き起こします。
ですから、自分が罪を犯したとき、「神が自分に罪を犯させた」ということはできません。
そのような時こそ、自分の罪を、神に悔い改めて、神からのゆるしをいただき、同じ失敗を繰り返さないようにするべきです。

神は、罪を何度でもゆるしてくださいます。
しかし、神に罪を告白し、何度も同じ罪を繰り返すことは、神の御名を汚すことです。
神の権威を軽く見て、神に対して罪を犯しているからです。
私たちは、神の権威を重く認めている者ですから、このような罪は、本当にさけなければなりません。

神からの最高の贈り物は、信仰です
私たちの信仰は、神が与えてくださったもの

1:16 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

神からの一番良い贈り物は、私たちを「新生」させたこと、信仰を与えたこと。
神は世界を創造し、太陽、月、など人間がいきるために必要なものをお与えになりました。そのように、神は、人間に良いものを与えてくださいます。

そして、神からの一番良い贈り物は、「信仰」です。
「信仰」こそ、神から与えられる「最高の贈り物」」です。

信仰は、私たちの悟りや、力、功績によるって得たものではありません。
神が、ご自身のみこころのままに、ある人にを「新生」させ、「信仰」を与えます。
そのことが真理であることを、使徒ペテロが18節で証言しています。

信じるだけの者になってはいけない
信仰と行いが一致している人になりなさい

1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
1:23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。
1:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。
1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、 その行ないによって祝福されます。
1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。

あなたの行いが、信仰と一致していなければならない。
クリスチャンは、信仰に熱心であっても、その行いが信仰に反していてはなりません。
そのような人の信仰は、むなしいものです。人をつまずかせます。

信者の信仰は、神によって始められ、神から与えられたものです。
神は、みことばによって、信者を新生させ、信仰を与えました。
信者は、聖霊によって、動機を与えらえるように、生まれ変わっているのです。
そうであるなら、心に与えられた律法に、喜んで従い、悪から離れて、善を行うことに励むことが、信者となった人の当然の姿であるはずです。
信仰と行いが反している人は、自分を吟味し、悔い改めることが重要です。

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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?