- 2022-04-08
- 2022-06-14
キリスト教綱要第2篇8章「十戒について説明する」
2編8章11:律法は、神との関わり方、隣り人と関わり方を教える 第1に守るべきこと 神と正しく関るように=神を礼拝し、神に従うこと 第2に守るべきこと 隣人と正しく関わるように=隣人を愛すること 聖書は、第1の戒めを守る者は、第2の戒めも守ることができると教える。 第1の戒めを守らない者は、第2 […]
2編8章11:律法は、神との関わり方、隣り人と関わり方を教える 第1に守るべきこと 神と正しく関るように=神を礼拝し、神に従うこと 第2に守るべきこと 隣人と正しく関わるように=隣人を愛すること 聖書は、第1の戒めを守る者は、第2の戒めも守ることができると教える。 第1の戒めを守らない者は、第2 […]
士師記4章 士師「デボラ」カナンの王と戦う イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。4:1 主は、カナンの王ヤビンに彼らを悩ませた。ヤビンは、イスラエルを20年間圧迫した。 ヤビンの将軍はシセラ。彼は鉄の戦車900両を率いていた。3:2-3 そのころ預言者デボラがイスラエルを治めていた。4:4- […]
神からの報酬は人間の功績が生み出すという考えに反論する 人間の功績(努力や成果)が、神の恩寵を来たらせるのではない。神は功績を生み出すために、まず人間に賜物を与える。神の恩寵(恵み)が人間の功績を生み出しているのだ。 ローマ書8:29、30は、私たちの救いと完成は、すべて神が成されたことだと言ってい […]
2編4章3:悪は神の許容ではなく、神の主権的介入によって起こる 人は、強制されてではなく悪を行う。 人が悪を行うとき、その意思はいやいや反抗しつつ、無理に悪魔に従わせられるのではない。人は、悪魔のささやきに同意して、強制ではなく、自ら悪をおこなう。 神は人間が悪を選択することを「予知」していたとする […]
士師「オテニエル」 神は占領する地を残しておいた。それはヨシュアの後、残された民が 主に忠実に従うかどうかを試み、知るためであった。3:1-4 しかし、カナンでの戦いを知らないイスラエルは、カナン人の中に住み、 彼らの娘をめとり、彼らの神々に仕えた。3:5-6 主は彼らを怒り、ナハライムの王クシャン […]
2編3章1/人は罪人として生まれ、神に反抗する性質をもつ このことが正しいとする証拠 イエス・キリストの証言 肉の思い(生まれながら人の思い)は神に敵対し、神の定め(律法)に反抗し、従うことができない。 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ […]
ヨシュア記23、24章 ヨシュアは民と契約を結んだ ヨシュアは全部族をシェケムに集めた。 アブラハムから始まった神とイスラエルの歴史を語った。ヨシュア記23章、24章から ウル地からカナンに住まわせたこと。24:3 イサクが生まれ、ヤコブたちはエジプトに住んだこと。24:4 エジプトから神が彼らを […]
2編2章1/ 神から独立した人間固有の善は存在しない 人間が最高に造られた時でさえ、「神の形」似せられて造られたにすぎない。 人間は固有の善をもつことによってではなく、神にあずかることによって祝福を得る存在である。 聖書は、人間が最高の栄誉の頂点に立ったときも、「『神の形』にかたどってつくられた」と […]
第2編1章 自己認識の方法を誤ってはいけない 一般に言われる自己認識は、自己のすばらしさを見つけるもの。しかし、それは自己賞賛に終わる傾向にある。 真の自己認識は、神の基準から見た自分の不完全さを知って謙遜になることである。その不完全さを回復するために、神に助けを求める願いが起こされることである。 […]
洗礼後、イエスは40日間荒野にいた 洗礼を受けて後、イエスはサタンの試みを受けられた。 これは宣教をする準備ができていることを確かめるための、神から課された試験であった。 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食 […]