第一ヨハネ2章 さまざまな問題へのアドバイス

真の信仰者であれば、神の定めを守る

2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で 弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。
2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。
2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
 

① 真の信仰者も罪を犯すことがある(1〜2節)
ヨハネは、信徒が罪を犯さないようにと書いています。しかし、罪を犯した場合には、父の御前で弁護してくださるイエス・キリストがおられます。真の信仰者とは、一度も罪を犯さない人ではなく、キリストに依り頼む人です。

② 信仰の告白が本物かどうかは、神への従順によって確かめられる(3〜5節)
神を知っていると言いながら、神の命令を継続的に無視するなら、その告白は偽りです。真の信仰は、神のことばを愛し、それに従おうとする変化を生み出します。

③ 真の信仰者はは、キリストにならって歩む(6節)
キリストに属していると告白するなら、その生き方もキリストにならうものであるのが当然で、キリストに反しているなら不自然です。
信仰の告白と日常の生き方が、根本的に矛盾していないかが問われています。

行いがあっても、真の信仰とは限らない
行いがあることと、真の信仰があることは同じではありません。

  • 律法的な行い:自分の義を立てたり、救いを獲得したりするために行う。
  • 偽りの信仰に伴う行い:人からの称賛や自分の利益を求めて、宗教的な活動を行う。
  • 真の信仰から生まれる行い:神の恵みによって救われた者が、神を愛し、感謝して従う。

熱心に宗教活動をしていたとしても、その熱心さだけで真理に立っているとは言えません。具体的に何を信じているかを聖書に照らして吟味する必要があります。

エペソ2章8〜10節も、この区別を明確にしています。私たちは行いによって救われるのではありませんが、良い行いをするためにキリストにあって造られたのです。

ヤコブ書との関係
ヤコブ2章17節には、行いのない信仰は死んだものであると記されています。また、2章26節では、霊を失ったからだが死んでいるように、行いのない信仰も死んでいると述べられています。

パウロとヤコブは、矛盾しているのではありません。
– パウロ:人は行いによってではなく、信仰によって義と認められる。
– ヤコブ:本物の信仰は、行いによってその真実さが示される。

私たちは良い行いによって救われるのではなく、良い行いへと導かれる信仰によって救われる、ということです。良い行いは救いの根拠ではなく、真の信仰から生じる実です。

信仰を告白していても、キリストの教えに従わない者
信仰があると告白しながら、神の命令を継続的に無視する人に対して、その信仰告白は偽物です。

ただし、一時的につまずくことと、罪を当然のこととして受け入れ、悔い改めずに生き続けることは区別しなければなりません。 真の信仰者も弱さや罪との戦いを経験します。しかし、真の信仰者は、神のことばによって罪を示され、悔い改めてキリストに立ち返るります。

キリストの命令は、旧約の命令を否定するものではない

2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。
2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、 まことの光がすでに輝いているからです。
2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。
2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。

キリストにならって歩み、互いに愛し合うこと
ヨハネは、キリストにとどまっていると告白する者は、キリストが歩まれたように歩むべきだと教えています。兄弟姉妹を憎むのではなく、互いに愛し合うことが、真の信仰の証しとなります。

互いに愛し合うという命令は、旧約時代から与えられていた古い命令です。しかし、キリストの到来によって、この命令は新しい意味と輝きを持ちました。キリストは、愛の完全な模範を示されただけでなく、山上の説教において、行為だけでなく心の中にある怒りや憎しみも問われることを教えられました(マタイ5章21〜22節)。

キリストによる罪の贖いの完成を境に、神のご性質や義の基準が変わったわけではありません。父なる神と御子イエス・キリストの御心は一致しており、神の真理と聖なる御心は一貫しています。したがって、新約時代に生き、キリストによる赦しを受けているからといって、神の命令を軽んじてよいわけではありません。

また、信仰を告白していても、困窮している兄弟姉妹を助けようとしないなら、その告白と行いは矛盾しています。ヤコブ2章15〜17節が教えるように、行いのない信仰は死んだものです。真の信仰は、神の恵みによって救われた者のうちに、隣人への愛と具体的な行動を生み出します。

ヨハネは、兄弟を愛さず、憎しみの中を歩む者は闇の中にいると警告しています。私たちは、口先だけの信仰告白に満足するのではなく、キリストに倣い、神の命令に従い、兄弟姉妹を実際の行いによって愛するべきです。

この世で旅人として生きよ
この世のものに執着してはならない

2:12 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。
2:13 父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたが たが悪い者に打ち勝ったからです。
2:14 小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです。父たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、 あなたがたが、初めか らおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あな たがたのうちにとどま り、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。
2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
2:17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。

こ
の世を愛するのではなく、神の御心を第一に求めること
ヨハネは、信者がこの世とこの世にあるものを愛するのではなく、神を第一にして生きるように教えています。イエスも、マタイ6章33節で次のように教えられました。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」

日々の生活に必要なものについては、天の父がご存じです。私たちは神を信頼し、生活の必要を満たすために思い煩うことよりも、神の国と神の義を第一に求めるべきです。

この世の富や財産、暮らし向きは永遠に続くものではなく、いつ失われるかわかりません。家族との大切な関係も、死によって別れを経験することがあります。だからこそ、私たちは一時的なものに心を奪われるのではなく、死によっても失われない永遠のものに目を向けるべきです。

信者は、神の御心に従い、永遠の命と、神の前に積まれる朽ちない報いを見つめ続けるべきです。この世のものを神よりも愛し、それを人生の目的とするのではなく、神を愛し、その御心を行うことを求めなければなりません。なぜなら、この世とその欲望は過ぎ去りますが、神の御心を行う者は永遠に生きるからです(第一ヨハネ2章17節)。

反キリストが到来する

2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
2:19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたこ とでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。
2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。
2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。
2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。
2:24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
2:25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
2:26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。
2:27 あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

反キリストの偽りの教えに警戒し、福音の真理にとどまること
今や、イエスが救い主キリストであることを否定する者たちが多く現れました。これは、信者たちがあらかじめ聞いていた教えのとおりです。このことから、ヨハネは今が終わりの時であると告げています。だからこそ、偽りの教えに惑わされず、真理にとどまり、神が約束された永遠の命を確かなものとして受け取ることが重要なのです。

偽りを教える者たちは、イエスがキリストであることを否定します。彼らの中には、以前は教会の群れに属していた者たちもいました。しかし、彼らは使徒たちが伝えた福音の真理にとどまりませんでした。

彼らは、イエスが父なる神から来られた神の御子であり、罪の贖いを成し遂げられた救い主であることを否定します。御子を否定することは、御子を通してご自身を啓示された父なる神をも否定することになります。父と御子は切り離すことができないからです。御子を否定する者は父をも持たず、御子を告白する者は父をも持つのです。

したがって、信者たちは、使徒たちから初めに聞いた福音の教えにとどまり、偽りの教師たちに惑わされてはなりません。ヨハネは、信者たちが受けた聖霊が真理を教えてくださることを確信し、彼らが真理にとどまり続けるように励ましています。
私たちも、聖霊の導きのもと、聖書に啓示された真理を堅く守り、反キリストの教えに警戒しなければなりません。御子についての使徒的な証言を離れて、父なる神を正しく知ることはできないのです。

あなたたちは救われているのだから、
キリストの御前に出るとき、はずかしくないように、
地上での生涯を、聖く生きようではありませんか

2:28 そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
2:29
もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。

28節:キリストの再臨に備えて生きる
キリストにとどまり続けなさい、という教えです。そうすれば、主が再び来られるとき、主の前で恥じ入ることなく、確信をもって御前に立つことができます。偽りの教えに惑わされず、キリストへの信仰を保ち続けることが大切です。

29節:義を行うことは、神から生まれた者のしるし
神は正しいお方です。ですから、神から新しく生まれた者には、神のご性質にふさわしく、正しいことを行おうとする変化が現れます。

良い行いによって救われるのではなく、神から生まれたことが、義を行う生き方に現れるのです。

まとめ
キリストを信じると告白するだけでなく、キリストにとどまり、神の義にかなう生き方を続けることが、真の信仰の証しとなります。主の再臨を覚え、偽りの教えに惑わされず、信仰を守り続けるようヨ
ハネは勧めています。

 

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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?